【ショートストーリー】無用の踊

【大紀元日本2月5日】昔、中国の代に李天という舞踊の達人がいた。

幼少の頃より宮廷舞踊に優れ、旋回する技、身体を反らせる技、跳躍する技、いずれの技でも一目見ては直ぐに習得し、これに抜きん出る者はなく、天下にその名を轟かせていた。

ある日、玄宗皇帝の謁見があり、その愛妾である傾国の美女・楊貴妃の微笑を見たとたん、演技中に一瞬だけ迷いを生じた。「もっといい演技を見せたい…」そう思った瞬間、旋回して跳躍する連続技の着地の時に足を滑らせ、衆目の中で転倒してしまった。

この時を境に、李天の中の何かが狂ってしまった。新しい技を見てもよく習得できず、既に習得した技も失敗の連続で切れを欠いた。焦って練習すればするほど、却って精細を欠く蟻地獄のような状態に陥っていた。「まずい…このままだと本当に自分は駄目になる…」。

これを見た女性舞踊家の趙燕は、引退した楽師の張空に会うよう薦めてくれた。「彼は、既に年老いて現役を退いていますが、道を心得た老修です。きっと何らかの助言をしてくれるでしょう」。

張空は、長安の街中を避けるように郊外の鎮に草庵を結び、独り身を守り通し、数匹の豚を飼って田畑を耕す晴耕雨読の生活を送っていた。李天は、趙燕からの書簡を手渡すとその窮状を訴えた。「苦しいのです…天才と謡われたこの私がたった一度の失敗でおかしくなってしまって…何とかしていただきたいのです…」。

張空は、庵の門前で趙燕からの書簡に一通り目を通すと、これを懐に入れ深く嘆息し、鍬の取っ手に両手を置いて李天をじっと見つめた。「では、まず厠掃除から始めてもらいましょうか」。

これには、さすがの李天も頭に血が昇った。「まさか、天才の名を欲しいままにしたこの李天が厠掃除とは?この爺さん、既にモウロクしているんじゃないか?」 しかし、何度問い返しても、厠掃除に相違ないと言う。

歌舞の練習もなく、何度通いつめても厠掃除ばかりの毎日に、ついに李天は堪忍袋の緒が切れて、張空に詰め寄った。「何だって、毎日毎日、厠掃除なんですか?他にやることはないのですか?」「ないことはない…」すると今度は、豚小屋の掃除をしろと言う。

裾を捲くり上げ、豚小屋の糞尿の山の中に入っていくと、李天の頭のネジが飛んだようであった。「たとえ、天地が転倒して動転しようとも、今のこのわたしほど信じられないものはない!」と天を仰いで慟哭した。

李天が、自らの境遇に諦めがつき、こういった下座に着くことに腰が座り始めた矢先、その背中をじっと見つめていた張空が、李天を村はずれまで誘った。

村はずれには、村人十数人が手をつないでやっと囲むことができる巨大な老木があり、その開墾地で村の若い娘たちが、農作業の暇を見つけては舞踊の練習をしていた。

楽奏は簡単な太鼓やら鼓やらの打楽器だけで、扇子をもっただけの質素な農村の民族舞踊のようであった。しかし、ひととき見学していると、その簡単な技術の舞踊であるはずのそれが、一方ならぬものであることが分かった。

その踊り子たちの眼神が踏む「韻」が、無欲で純朴であることに気が付いたのだ。張空が合図をすると、一団はさっと練習を中止し、その場を離れて老木の下に集まった。

張空は、李天に「…おまえに最早習得すべき技はない。ただ…」というと、踊り子の赤いスカーフを取り上げ、李天の両眼に一重二重と巻きつけ、打楽器を手にすると、一言「舞え…」と命じた。

李天は、打楽器の旋律に乗ると舞い始めた。しかし、舞い始めてから旋回・跳躍の際に身体の中心軸がぶれてヨロヨロする。そのたびに、純真な踊り子たちから失笑が漏れた。

以前、このような百姓から嘲笑されると頭に血が昇る性質であったが、このたびは身体の中心がぐらつくものの、精神の軸が全くぶれない。李天は、ここでの修行に手ごたえを感じていた。

夜になると、張空は蘆笙(ろしょう)を手にして、李天に一対一の稽古をつけるのだった。張が編曲した「月下龍の咆哮」は、全体に哀調を帯びた曲調で、ときに激しく、ときに緩やかに、ただ月明かりだけを頼りに、それは子の刻を過ぎても連日のように繰り返された。

夜も更けてくると、狸やら狐やらの咆哮が月下に聞こえてくる。すると、薄暗い中での練習でもあるので気が散り身体のバランスを崩した。すると、張空は李天の両眼にまた布を巻きつけ、「…俺は、獣に襲われそうになったら、一早く逃げるからな…しかし、おまえは逃げてはならぬぞ、食われる覚悟が必要だからな…」と言って、深夜の練習は已むことなく続けられるのであった。

するとある日、張空は李天を呼び止めこう言い放った。「李天よ、よく頑張った。既におまえの舞は用のないものになった。既にここでの修行は終わった…よって宮廷に帰るがよい…」。

李天は、宮廷舞踊家として復帰した。そして再び、楊貴妃を前にして舞台に立った。その舞は、旋回すること飛龍のごとく、身体が反ること柳のごとく、跳躍すること牡鹿のごとく、力強さの中にあって一糸乱れぬ動き、それでいて踏む韻が華美であっても純真なことに、観衆の誰もが息を呑んだ。

演技の後、楊貴妃が李天に尋ねた。「…その舞は、何という舞ですか?」

「舞っている最中に周囲に人はなく、天地があって私独りだけの世界でした。…舞は、本来観衆があって成立するもの。それがいないのですから、既に用がありません。ゆえに無用の踊でしょう」。

それ以来、李天は宮廷で踊らなくなり、野に下り若くして隠遁したという。