【大紀元日本9月8日】「心中」には、「しんちゅう」と「しんじゅう」の二つの読み方があります。「しんちゅう」と読めば「心の中、胸のうち」で、「しんじゅう」は「無理心中」の「心中」。全く関係ないように見えるこの両者は、果たしてどこかでつながっているのでしょうか、それとも、たまたま同じ漢字を当てただけなのでしょうか。
「しんじゅう」は、現在でこそ「無理心中」「一家心中」のように、他の人を道連れに自殺を図ることを指しますが、元は、特に男女の間で、相手に対する信義や愛情の気持ちのことを言いました。つまり、「しんじゅう」とは、男女間で「胸のうち」を相手に示すということですから、この時点で「しんちゅう」と「しんじゅう」はつながっているのです。事実、古くには、「しんちゅう」を「しんじゅう」とも言い、「しんじゅう」を「しんちゅう」とも言ったようです。
ところで、古くからその「心中」の気持ちを髪の毛や指を切ったり刺青をしたりなどして表わすことが行われたようで、そのことも「心中」または「心中立て」と言いました。次例の「心中」がそうです。
それならばおれにほれたといふ心中をみしや。こころへたとゆびを切らんといへば(傾城仏の原)
そして、「心中立て」の最たるものが、互いが死を以って契りを守り通すことで、それを「心中する」と言うようになりました。それが現代では、男女間に限らず幅広く用いられるようになったということです。
ところで、中国語の『心中』には「しんちゅう」の意味しかなく、「しんじゅう」は『情死』とか『一同自殺』のように表現されます。
(智)
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