≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(61)

私はなぜこのように冷静なのか分かりませんでした。養母はまだ私が逃げ出そうとしているのに気づいていないようでした。私が居間に入って養父に挨拶したのは、私がただ自分の部屋に帰ろうとしているだけだと思ったようです。

 このとき、養父が口を開き、養母と趙玉恒の話声が聞こえました。養父はやっと、養母が今晩私をここで過ごさせようとしているということが分かりました。そこで、養母と相談するようでいて、決然とした口調で、「なんでもっとゆっくりと話を進めないのだ。なぜそんなにあの子に無理強いするのか」と言いました。養父がそんな口調で養母に言うことはめったにありません。

 養母はそれを聞くなり養父をなじり始めました。養父は、強制労働収容所から帰ってきてからは、ますます老いて衰え、家庭内の舵取りができなくなっていました。軽々しく養母の考えに反対するということがなくなりました。一旦彼女の機嫌を損ねると、際限なく養父をなじり続けるので、養父はがまんするしかなく、最後には折れてしまうのです。その結果、養母はますます横柄になっていきました。

 しかし今日、養父ははっきりと反対意見を言ったので、養母がまたなじり始めたのですが、養父も譲りません。いつもとは違った口調で、大きな声で養母を叱ったので、養母はすぐに泣き叫びながら養父を罵り始めました。

 この思わぬ場面に出くわして、私はいささかあっけにとられ、どうしたらいいか分かりませんでした。私はとっさに養父のほうを見ました。養父もちょうど私のほうを見ており、その眼光から、私に早く立ち去らせようとしているのがわかりました。…私は突如として自分が置かれている状況に気がつき、早く逃げ出さなければならないのを思い出しました。

 養母がわめき叫んで、私に注意を払っていない隙に、私はそっとドアを開け、家を出ました。家の者は誰も私に注意していませんでした。私は向かい側に出ると、何も構わずに前へと走りました。しかし、地面は滑り、道にも不案内だったので、一寸先も見えないような漆黒の闇の中、沙蘭に行く道を見つけることができませんでした。

 養母が追い付いてくるのではないかという心配から、懸命に前に進みましたが、早く進もうとすればするほど滑ってしまい、時間が経つばかりでした。私は急いで立ち上がると、両手に付いた泥を力いっぱいふるい去りながら、漆黒の中を手探りで前に進みました。自分ではもう随分進んだような気になっていましたが、振り返って見ると家の小さな灯りは、まだ近いところにありました。

 突然一閃の雷鳴が轟き、漆黒の雨の夜が明るく照らされました。この瞬間、私は自分がまだ草むらに立っており、あぜに一つの小道があるのが分かりました。そこで急いでその小道へと走って行きました。道に出てからは、速く歩くことができました。私は全身、泥と雨水でびっしょりと濡れていました。私は、ときどき手で顔を滴り落ちる雨水をぬぐいました。

 振り帰ってみると、家の灯りはどんどん小さくなっていき、私の心中は次第に落ち着いてきました。養母と趙玉恒は追ってきていないようでした。

 私はこの暴風雨に感謝しました。でなければ養母が追いかけてきたことでしょう。あのような雷鳴と暴風雨の漆黒の夜、私以外に一体誰が外へ逃げ出そうなどと考えることでしょうか。

 そこで私は足どりを緩め、暴風雨の闇の中を一人小道に沿って歩きました。そのとき、突如としてかすかに誰かの叫び声が聞こえましたが、暴風雨と雷鳴で、その叫び声はかき消されていきました。

  (続く)