八仙人の一人、張果老の伝説

【大紀元日本5月11日】張果老は唐代の隠遁者であり、道術に長じ、恒州篠山に隠居し、いつも、汾、晋の間を往来していた。彼は長寿の秘訣を知っていると言い伝えられ、後世では八仙人の一人として知られている。

張果老は日ごろ白い驢馬に乗り、それは一日に数万里を駆けることができた。休息時には驢馬を畳むのだが、それは紙のように薄くなり、箱の中にしまうことができた。乗る時に水をかけると、たちまちそれは活きた驢馬へと変身するのであった。

開元23年、唐の玄宗は事に通じた部下である裴晤を遣わし、恒州に張果老を迎え来朝させようとしたが、張果老はどうしたことか裴晤に会うと気絶して死んでしまった。そこで裴晤は香を焚いて彼に生き返るように願い、天子が道を求めている誠意を伝えると、まもなくして彼は蘇生した。裴晤は彼に無理強いせずに、馬を走らせ皇帝に報告をした。皇帝は次に部下の徐峤に皇帝玉璽が印された親書を持たせ迎えに行かせた。

張果老は胎息術に長じ、連点xun_ワず食わずでも平気であった。飯時にはただ美酒をあおり、三黄丸を服しただけであった。唐の玄宗は彼を内殿に留め置き、美酒をふるまった。彼は、自身では二升も飲めないが、彼の弟子は一斗でもいけると言った。唐の玄宗はこれを聴くと大変に興味を持ち、人を遣わしてその弟子を呼んでこさせた。間もなく、正殿の屋根上の縁から小さな道士が飛び降りてきたが、年は16-7歳だろうか、容貌は美しく、気質もさっぱりとして、皇帝の前に出ると拝謁した。小さな道士は弁舌も爽やかで、そして礼儀正しかった。唐の玄宗は彼に座ることを許した。

その時に、張果老は言った。「この弟子はいつも私の身辺にあっては立っています。彼に座るように言っては宜しくありません」。唐の玄宗はこれを聴くとますますこの小さな道士が気に入り、彼に酒をあたえた。小さな道士は一斗を美味そうに飲んでもまだ遠慮をしないので、張果老はさらに言った。「もうそれ以上飲ませるのはおやめ下さい。それ以上飲ませると醜態を晒し、失笑を買うことになります」。しかし唐玄宗は頑なに小道士に酒を強いた。すると、小道士の頭から酒が噴出し、彼の帽子が床に落ち、それは一個の酒樽のふたに変わった。唐の玄宗とその妃や侍者らは、それを見て驚き、また大いに笑った。その時には、小道士の姿はすでに見えなくなっていた。ただ金色の酒樽が床の上に残されただけだった。その容量は、ぴったり一斗であったという。