【大紀元日本2月20日】プロの世界で名を成すことのできる人は、ほんの一握りです。甲子園を沸かせ、鳴り物入りでプロに入りながら、「鳴かず飛ばず」で終わった選手は珍しくありませんし、演歌の世界では、今では大御所といわれる人であっても、その多くが「鳴かず飛ばず」の苦しい下積み生活を経験したことがあるようです。
「鳴かず飛ばず」とは、現代日本語ではこのように、成功を目指していながらも長い間何の活躍もなく目立たないという、マイナスの意味で使われますが、本来は、次の故事にあるようにプラス思考の表現でした。
春秋時代の楚の荘王(そうおう)は、即位して3年間、全く政治を顧みることもせず、日夜遊蕩にふけり、諫言する者は全て死に処すと宣言しました。ある日、家臣の伍挙(ごきょ)が荘王に、「丘の上に、3年間飛ばず鳴かずの鳥がいます。これは何という鳥でしょうか」と謎かけをしました。荘王は「その鳥は一旦飛べば天に届き、一旦鳴けば人を驚かせるだろう。お前の言いたいことはわかった」と答えました。
しかし、その後も遊蕩にふける荘王に、今度は家臣の蘇従(そじゅう)が意を決して諫言しました。すると、荘王は、手に刀を取って、宴会で使っていた鐘や太鼓を吊るしていた紐を断ち切り、政務を執る決意を示しました。
(『十八史略、春秋戦国、楚』より)
実は、荘王は3年間、政務には全く関心がないふりをして、家臣の人物を見極めようとしていたのです。
つまり、「鳴かず飛ばず」とは本来、「三年飛ばず鳴かず」で、「将来の活躍に備えて、じっと機会を待っている」という意味だったのです。
(瀬戸)
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