【大紀元日本4月27日】このところ、乳幼児虐待のニュースが目に付く。生後1カ月のわが子を壁に打ち付け重症を負わせた父親がいる。「泣きやまないのでカッとなってやった」のだという。また、6歳の男の子が義父の虐待を受け、脳内出血で意識不明の重体となった。「厳しくしつけるために殴ったり、投げ飛ばしたり、足払いをかけたこともあった」そうだ。
儒教では、人が守らなければならない5つのルールとして「仁・義・礼・智・信」を定め、これを「五常の徳」という。「仁」とは人を思いやることであり、「礼」とはそれを具体的な行動として表したもの。こういったことの大切さが全くわからぬままに人の親になってしまった人が、最近頓に増えているのではなかろうか。つまり、親になるべからざる者が親になってしまったということだ。
最近でこそ「虐待」ということばが広く使われているが、以前はこのような場合、「折檻」と言われていたように思う。「男児が折檻により死亡」「折檻死」といった具合である。
「折檻」とは、『漢書・朱雲伝』の故事に由来する。
前漢の時代、朱雲が成帝の前で、大臣・張禹(ちょうう)の専横振りを諌めた。張禹は成帝の師であったことから、大いに成帝の怒りを買い、朱雲は宮中から引きずり出されることとなった。ところが、朱雲は手すり(檻)にしがみついて離さないものだから、手すりが折れてしまった。(檻が折れる→折檻)この様子を見た別の大臣が、朱雲の直言振りを褒め、許してやるよう請うたところ、成帝はそれを聞き入れ、罪に問うことを止めたという。
この故事から、正当な理由を以って厳しく諌めることを「折檻」というようになったのだが、それが現代では、懲らしめのために体罰や虐待を行うことを意味するようになったのである。
(瀬戸)
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