【大紀元日本6月17日】
天山雪後海風寒
横笛偏吹行路難
磧裏征人三十萬
一時回首月中看
天山、雪後、海風寒し。横笛(おうてき)偏(ひとえ)に吹く、行路難(こうろなん)。磧裏(せきり)の征人(せいじん)、三十萬。一時、首(こうべ)を回(めぐ)らして月中(げっちゅう)に看る。
詩に云う。天山の雪が晴れて、西方の大きな湖を渡ってくる風の寒さが身にしみる。そんな中、聴こえてきたのは横笛がしきりに吹く「行路難」の曲。はるかな砂漠に出征してきた30万の兵士は、その笛の調べを耳にするや、いっせいに振り返って月の光のもとにじっと見つめていた。
作者は、中唐の詩人・李益(りえき、748~827)。若くして進士に及第したが、長安での昇進は遅く、辺境を守備する節度使の幕僚などを歴任した。
中国文化を受容した同時期および後世の日本人も、教養のあるところを見せるためか、中国の詩人をまねて漢詩を作った。日本人の漢詩にも、花鳥風月ならば秀作がないわけではない。ただ、漢詩の題材のなかで、日本人には全く手に負えなかったジャンルがある。辺塞詩(へんさいし)という、万里の彼方へ出征した兵士や、辺境の砦にある守備兵の心情を詠った詩である。
『万葉集』の防人歌が、辺塞詩の心情にいくらか共通すると言えなくもない。しかし、日本の詩歌に決定的に存在しないのは、目にした者を視覚で殺せるほどすさまじい、荒涼たる砂漠の風景なのだ。
表題の一首は、数ある辺塞詩のなかでも秀逸といってよい。特に見事なのは、一管の横笛が奏でる調べが、月夜の静寂を響き渡り、広い荒野に駐屯する大軍の兵士の耳に届くという設定であろう。
その時の一人ひとりの兵士の思いについて、詩は直接語らない。しかしその心情は、笛の音を耳にした30万の兵士が「いっせいに振り返って月の光のもとにじっと見つめる」という圧倒的な描写によって、読者には十分伝わるのである。
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。