1、女媧、天を補う
女媧が天を補修したことについて、『淮南子』覧冥訓にこう記されている。
往古之時、四極廃、九州裂。天不兼覆、地不周載、火熞炎而不滅、水浩洋而不息。猛獸食顓民、鷙鳥攫老弱。於是女媧煉五色石以補蒼天、断鰲足以立四級、殺黑龍以濟冀州、積蘆灰以止淫水。
遠い昔のとき、四極が崩れたため、九州の大地は裂けた。天は地を覆いつくせず、地は万物を乗せ尽くせず、火は盛んに燃え広がって消えず、洪水ははてもなく広がってやまず、猛獣は民を食い殺し、鷙鳥は老弱に掴みかかった。そこで、女媧は五色の石を煉って蒼天を補修し、鰲の足を切って四極を立て直し、黒龍を殺して以て冀州を済い、蘆灰を積んで以て陰水を止めた。
天が崩れた原因、女媧が天を補修した経緯について、二説がある。『列子』湯問には、「天地も物である。物には不足がある。ゆえに昔女媧が五色の石を煉ってその欠けたところを補い、鰲の足を切ってそれをもって四極を立てなおした」とある。この「天地不足」説は一家言とされつつもそれほど影響力はない。これに対し、『淮南子』天文訓の記述は古来広く認められている。
昔者共工與顓頊爭為帝、怒而觸不周之山、天柱折、地維絕。天傾西北、故日月星辰移焉。地不滿東南、故水潦塵埃歸焉。(『淮南子』天文訓)
むかし、共工は顓頊と帝位を争い、激怒したあげく不周の山にぶつかった。そのため、天柱が折れ、地維が断ち切れた。それで、天は北西に傾き、日月星辰も移った。また、地は東南が落ち込んだゆえ、水や塵埃はその方向に帰することになった。
『淮南子』の外、『論衡』談天篇にもほぼ同じ記述がある。天地開癖や人類創造の神話は、各文明の中に多く見られ、かつ共通的・相似的ものも少なくないが、しかし破損した天を補修するという話は他文明の神話に見られず、きわめて希有なものである。
女媧は「五色の石」(白、黒、赤、黄、青)をもって天を補修したというが、この「五色の石」とはいったい何であるか。
宋の羅泌『路史』には、「煉石成赮」すなわち、石を煉って夕焼けとなるという説があるため、女媧が天を補修した五色の石は五色の夕焼けであろうとの推論がある一方、五色の石は実はただ普通の石であると思われる。
『淮南子』脩務訓に、「禹生于石」とある。『西遊記』の孫悟空も石より生まれた。玉などの石をアクセサリーや飾り物、またお守りとして愛される民俗風習は、昔より現代まで中国のほぼ全域で代々継がれている。すなわち、霊性ある石は、観賞や審美の価値があるのみならず、厄払いやお守りの効用もあり、生殖とも関係すると思われるからである。
石崇拝を女媧の天を補修する神話の文化背景として女媧の「五色の石」を検証すれば、そこには多重で深い意義があるようである。
強い生命力や神性があるゆえ、石は巨大なエネルギーを持つ神秘的生命の本源となるが、天地間の基本色を含む「五色の石」を以って損壊した天を補修するならば、天は本来のバランスを取り戻し、よって天は安心、安全、完美になるのである。したがって、この天を補修するという行為は、簡単な修復作業ではなく、「五色の石」をもって天の属性とその効用を復活させる、一種の神聖な儀式でもあるのである。
そして、中国文化の中で、「五」はきわめて重要な数字である。木、火、土、金、水の五行思想はむろん、徐整『三五歴記』に「数起于一、立于三、成于五、盛于七、処于九」とあり、九個の自然数の中で、五はちょうど真ん中に位置し、不偏不党であり平衡を保つ意義もある。この文化的要素から考察すれば、女媧の「五色の石」は中国の文化思想と深くかかわっていることが分かる。
女媧の天を補修する作業の今一つの重要な内容は、鰲の足を切って崩れた天を立て直し、葦の灰をもって氾濫した洪水を堰き止めたことである。
『淮南子』に「断鰲足以立四極」とあるが、高誘注によれば、「鰲、亀也、天廃頓以鰲足柱之」という。つまり、天が機能しなくなり崩れたため、鰲の足を以って東西南北の四極で支えたのである。中国では古、天は丸い形で、地は四角いものであり、四方にそれぞれ巨大な柱で天を支え、そしてこの大地は巨大な亀に載せられるものとされていた。この古い宇宙観は女媧神話でも取り上げられ、過不足なく活用されている。
鰲の足で天を支えるのと同様に、葦の灰をもって氾濫した洪水を堰き止めたのも一種の儀式、いわば呪術である(閻徳亮『中国古代神話文化尋踪』、人民出版社、2011年)と考えられる。
女媧の天を補修した神聖な奮闘により、「蒼天補、四極正、陰水涸、冀州平、狡虫死、顓民生」(蒼天は修復され、四極は正され、洪水は消え、冀州は平坦になり、猛獣は死に、民は生き残った)となったである。
2、婚姻制度を定め、人類を繁殖させ、笙簧を発明し人類を教化する
人を造った人間の始祖として、女媧はまた人間が繁殖し代々生息していけるように、婚姻制度を定めた。
女媧祷祠神、祈而為女媒,因置婚姻。(『風俗通』)
女媧が神祠に祈って、女媒になり、婚姻制度を設けた。
この『風俗通』の外、『路史』にもほぼ同じ内容の記載も見られる。そして、『路史』にはさらに、女媧は女婦の姓氏を正し、婚姻を司る。仲人を通ずる婚姻が万民の倫理的関係を重んじたため「神媒」とされるとある。
原文では、「因通行媒、以重万民之判」となるが、中の「判」に対する解釈はさまざまであるが、可否や白黒を区別し見分けるという意味に基づき、女媧は婚姻制度を以って万民の婚姻の可否と相互の婚姻関係を明らかにするようになったことから、ここの「判」をあえて「倫理」と解釈してもよいようである。「神媒」である女媧の偉大な功績を讃えるため、古の人は春に記念の儀式を行い、女媧の神性の復活を祈っていた。
女媧が婚姻制度を設ける前、すなわち母系社会の昔は、男女は雑婚であったと思われる。『淮南子』本経訓に「男女群居雑処無二別」とあり、『列子』湯問にも「男女雑游、不聘不媒」とある。そして『呂氏春秋』にはさらに「其民聚生群處、知母不知父、無親戚兄弟夫妻男女之別、無上下長幼之道」と記されている。
上記によれば、群居していた先史時代の人々は、親族関係や婚姻関係は一切なく、母を知っても父を知らない、いわば文明未開の時代であった。女媧の婚姻制度の確立によって、先史文明は大きな一歩を踏み出し、人の自然性や野蛮性を是正し、文明的な婚姻制度ならびに人間の倫理関係を確立したことによって、人類は史的な文明進歩を成し遂げたわけである。
女媧は、自ら率先して婚姻制度を完成させた記述が複数あるが、『独異志』の記述がもっとも古い。
昔、宇宙が初めて開闢されたとき、女媧兄妹二人だけが崑崙山にいた。天下にはまだ人はいなかった。二人は夫婦になろうとしたが、自ら恥ずかしかった。それで、兄は妹と崑崙山に登り、「もし天がわれわれ二人を夫婦になるように遣わされたなら、煙を合わせてください。もし違うなら、煙を散らしてください」と祈った。すると、煙は合わさった。それで、妹はすぐ兄に従い、そして草で扇を作って面を隠した。今も、人々は結婚する際に扇を手にするが、そのことに由来したのである。(『独異志』)
この「煙が合わさって成婚する」話の中の兄は、いったい誰か。古書に確たる記述はない。しかし、その傍証となるものは少なくない。結論を先に述べると、結婚の相手となった女媧の兄は伏羲である。
第一、前記の漢代『通志』三皇紀にある「華胥生男子為伏羲、生女子為女媧、故世言女媧伏羲之妹」に基づき、あるいは同じ伝承源によって、民間では女媧の兄を伏羲としている。第二、漢代の伏羲・女媧図(伏羲・女媧図は漢武梁祠壁画、中国山東省任城にある、漢代の武梁祠という墓の壁画の中で、伏羲と女媧の像がある)では、二人はいずれも上半身は人体であり、下半身は蛇体である。しかも二人は交尾の状態をあらわしている。伏羲は矩、女媧は規を手に持っており、二人が文明を規制することが描かれていると思われる。他にも、アスタナ古墓群など唐代の古墓から出土した伏羲女媧図も前記とほぼ同じ形をしている。第三、中原や晋東あたりの民間で口頭伝承されていた神話の中でも、大洪水により伏羲と女媧の兄妹二人だけが生き残り、人類を繁殖するために、やむをえず天意を伺ったうえ結婚した話は、広く語り継がれている。他にも、大同小異の伏羲女媧兄妹結婚の民話が多数あるが、ここでは略す。
以上の記載と文化遺跡により、この伏羲女媧兄妹の結婚という話は、ほぼ定論になってきた。しかしながら、中国神話の全般およびその内容からこの定論を検証すれば、それは齟齬するところが生じる。
まず、「華胥生男子為伏羲、生女子為女媧、故世言女媧伏羲之妹」となっているが、しかし、この話は女媧の人類創造というより古い時代のものであるはずの内容と抵触している。つまり、女媧はこの天地間にいた頃には彼女を除いて誰もいなかったから人を造ろうとしたのであり、兄など他の人は一人も存在しなかったのが合理である。
そして、天を補修する神話の中で、伏羲が脇役としても登場することなど一切見られず、終始女媧がその主人公をなしたことからも、伏羲の不在が反証された。
以下はただ筆者の仮説と推論にすぎず、今後確たる実証が必要であるが、女媧と伏羲はおそらく、先史神話の中でそもそも無関係の別々のものであったが、民間で口頭伝承されていた過程において何らかの原因により人為的あるいは無意識的にその内容が変更されたため、以降、伏羲・女媧兄妹説とりわけ兄妹結婚に至ったものであろう。
『淮南子』覧冥訓に「伏羲、女媧不設法度、而至遺徳于後世」との記述があるが、ここでは二人は併称されていても、二人の関係は明示されないし、かえってそれぞれ男神と女神の代表として二人の功績により併称されたものと理解したほうが妥当のようである。
むろん、成婚を以って人間を繁殖させるということは、女媧の人類創造の第三方式であり、それの最低かつ最終段階の作業と言ってもよいのである。
女媧は、また笙簧を発明し人類を教化していた。女媧が笙簧を発明し音楽を作成して人々を教化したことについて、『世本』作篇に、「女媧作笙簧」との記述がある。『路史』後紀二にもより詳しい記述がある。「女媧は、自分に随って笙簧を制作し風俗を通すよう臣に命じた。娥陵氏に都良の管を作って、天下の音を統一しようと命じた。聖氏に班管を作って日月星に合わせようと命じた。」
中華文明史的視点からすれば、女媧の功績は燦燦たる偉大なものと言わざるをえない。
(文・孫樹林)
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