三寸の舌に五尺の身を亡ぼす

の時代、「士大夫(したいふ)」という階級がありました。教養を備え、詩文にも通じ、科挙を通過した官僚を多く輩出した士大夫層は、その後、王朝が「元」「明」「清」と移り変わっても、ずっと中国の支配階級の中枢を占めてきました。宋代の「士大夫」を育てる親の教育は非常に厳しいものだったようです。

宋朝の士大夫、呉賀(ごが)の母親・謝氏もそんな母親でした。呉賀がお客さんと話していても、謝氏はいつも屏風の後ろから、呉賀が間違った内容を話していないかと聞いていました。 

あるとき、謝氏は呉賀が来客とある人の短所について話しているのを耳にしました。彼女は非常に怒って、その客人が帰ってから呉賀を杖で100回叩きました。 

それを見ていた身内の者が「人の長所や短所について話すことは珍しくないですよ。こんなに大騒ぎするようなことではないのではありませんか」 と謝氏をなだめました。

謝氏は溜息をついてこう言いました。「娘を大切にする人は、必ず言葉を慎重に選ぶ士大夫に娘を嫁がせるという話を聞いたことがあります。私には息子しかいませんが、彼に不用意な発言が命に関わってくるという道理を分かってほしいのです」

中国伝統文化の中では、口を慎むことが大事にされていました。何気無く口にした言葉で相手を傷つけてしまうかもしれないからです。陰で人の悪口や短所について話したりするのは教養のある人がすべきことではありません。他人の過ちに気づいた人は相手に素直に指摘し、その過ちを補います。そして自らもこのような不足がないかと省みる、と古人は自らを律していました。 

呉賀はそれから自分に厳しく要求し、を重んじ、最後には立派な士大夫となりました。

(大道修)