「トランプ大統領は偉大なパットン将軍とそっくりだ。パットン将軍もよく失言していたけど非常に優れた将軍だった。彼は第二次世界大戦でアメリカを勝利に導いた。トランプ大統領もアメリカを再び偉大な国にしてくれると信じている」これはあるトランプ支持者の言葉だ。
トランプ大統領がパットン将軍と似ているという議論は、彼が当選した時から起こった。なかにはトランプ氏はパットン将軍の生まれ変わりだと主張する者もいる。パットン将軍は1945年に交通事故で亡くなり、その翌年にトランプ大統領が生まれたのも事実だ。
ジョージ・パットン将軍(George Smith Patton, Jr.1885-1945)は第二次世界大戦期に活躍したアメリカ陸軍の将軍だ。彼はシチリア島上陸作戦からドイツ敗戦まで戦い抜き、機甲師団を指揮し歯向かう敵を粉砕した。一方のトランプ大統領はアメリカの大富豪であり、スターであり、作家でもある。事実、トランプ大統領は何人もの将軍を政権に入れた。
恵まれた出自とスポーツ魂
パットン将軍とトランプ大統領は共に裕福な家庭に生まれた。パットン将軍は裕福な軍人家庭に生まれ、幼いころからカリフォルニア州にある大農場で暮らしていた。成年したパットンは士官学校に入り、職業軍人となった。トランプ大統領はニューヨークのクイーンズランドで生まれ、その父は不動産業で大成功し「不動産帝国」を築いた。パットン将軍は戦場で、トランプ大統領は市場で活躍した。裕福な家庭は活躍する資本を彼らに与えた。
さらに、二人ともスポーツをこよなく愛している。パットン将軍は軍の代表として、1912年ストックホルムオリンピックに出場し、「モダン五種目」の部で5位の成績を収め、フェンシングでは4位を勝ち取った。また、騎馬障害走で6位、水泳で7位、4キロ走では3位に輝いた。
オリンピック終結後パットンは剣術の造詣を深め、アメリカ騎兵隊のサーベル教範を改善し、のちに「パットンサーベル」と呼ばれる新しいサーベル(西洋の刀剣の一種)を設計した。そして、パットン将軍は陸軍騎兵学校で「剣術の師匠」という称号をもらっている。
トランプ大統領は子供の時にいたずらっ子だったが、軍学校で過ごすことで自我を取り戻し、同時に強靭な精神力を身に着けた。
トランプ大統領は野球とラグビーの選手でもあった。1962年には大学のラグビー代表チームに入り、1963年にはサッカー代表チームに所属した。また、1962年から1964年にかけて、トランプ氏は野球チームでも活躍し、1964年には野球チームの主将を務めた。
豪華絢爛な外見
運動以外にも、トランプ大統領とパットン将軍は共に着飾ることを好んでいる。
象牙をはめ込んだリボルバー(回転式拳銃)はパットン将軍の代名詞だ。彼は常にピカピカのヘルメットをかぶり、騎兵用のブーツを履き、上質な上着と乗馬ズボンを身に着けていた。部下を激励するためだ。彼が乗るジープの前後には超大型の階級表示板があり、広報用のラッパと合わせて遠くから彼の到来を知らせる。
トランプ大統領も公衆に自信満々な姿を見せる。セットに長い時間がかかるであろう独特な髪形は彼の象徴でもある。金色の光沢と流線形が生み出す立体感に比肩するものはないだろう。
トランプ大統領は豪華な邸宅以外にも最高級のプライベートジェットやヘリコプター、豪華ヨットを所有し、すべてに「トランプ」の文字を誇らしげにペイントしている。この作風はパットンが自分用のジープに目立つ目印を付けたこととまったく同じである。
カリスマ的性格
トランプ大統領とパットン将軍は共にカリスマ的性格を備えている。そして同時に大胆さと勇敢さを持ち合わせている。
パットン将軍を形容するとすれば勇猛果敢以外に最適な言葉はないだろう。彼は何よりも速さと猛烈な攻撃で相手を圧倒することを重視し、今日の陸海空協同作戦も彼が生みの親だと言われている。二回の世界大戦に参加したパットン将軍は戦車戦理論をリードし続けた。彼の冒険精神が連合国軍の士気を高め、第二次世界大戦の終結を早めたとさえ評価されている。
パットン将軍はそのカリスマ的性格と傑出した指揮能力により、ドイツ軍から最も尊敬された軍人となった。ドイツ軍のゲルト・フォン・ルントシュテット元帥は「パットンは連合国軍で最高の将軍だ」と評価している。アルフレート・ヨードル将軍も「パットンは度胸があり、大きなリスクを背負い大きな勝利を得ることができる」と認めている。
トランプ大統領もカリスマ経営者として名高い。一度は巨額の負債を抱えるも、手腕を発揮して持ち直し、ニューヨーク証券取引所への上場を果たした。ホテルとカジノを多く所有し、アメリカの不動産王と呼ばれている。
成功あるのみ
パットンの辞書には成功の二文字しかない。「私は成功のみを追い求め、享楽などしたくない。何もしないで千年生きるよりも、むしろ一つの戦争に勝つため百年間奮闘した方がましだ」
パットンはかつて次のような名演説をしたことがある。「アメリカ人は勝者を愛し、敗者には決して同情しない。アメリカ人は小心者を蔑視する。アメリカ人がいったん試合に参加すれば勝たなければならない。負けたにもかかわらず笑っていられる者を私は見下すだろう。アメリカ人が今まで一回も負け戦を喫したことがないのはこのためであり、将来も負けることはないだろう。真のアメリカ人たるものは、失敗という観念すらも忌み嫌うのだ」
大志を抱き(think big)、成功者になる(be a winner)はトランプ大統領の座右の銘だ。トランプ大統領の辞書にも成功の二文字しかない。失敗してもまた立ち上がる。1990年代にトランプ氏が所有するいくつかの企業が破産宣告を迫られたときも逆境に屈せず、継続した努力で経営を持ち直した。
パットン将軍が戦場で励行したのは単純・勇猛という原則だった。「戦争は単純明快であり、無情だ。したがって単純で無情な人間に戦争を最後まで戦い抜いてもらうしかない」とパットンは言った。「戦争に勝つ方法はすなわち敵を倒すことだ」「敵に攻めさせない方法は自分から敵を攻撃し、絶えず攻撃することだ」
トランプ氏の商業規則も簡潔と迅速ということを重んじている。テレビショー「挑戦者(The Apperentice)」でもトランプ氏は毎回「お前はクビだ(You’re fired!)」という単純な言葉で視聴者を大いに楽しませてきた。
歯に衣着せぬ物言い
トランプ大統領とパットン将軍は二人とも、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで有名だ。トランプ大統領はたびたび「爆弾発言」で世間を驚かせ、批判を浴びつつも我流を貫いている。その率直で飾り気のない発言は「政治的に正確」な言葉に聞き飽きた有権者の心に大きく響き、痛快な「トランプ節」として知られるようになった。今まで大きな波紋を呼んだ発言のいくつかを以下にまとめた。
「彼ら(メキシコ人)はドラッグをアメリカに持ち込んでいる。彼らは犯罪を引き起こしている。レイプ犯だ」
「私は大きな壁を作る。そして私よりうまく作れる人はいないだろう。私を信じて。私はとても安く、大きな大きな壁を南部国境に作る。そして私はメキシコに建築費を払わせる。私の言葉を忘れるな」
「もうこれ以上中国共産党に我が国をレイプさせない。しかし彼らはまさに今しているのだ」
一方で、パットン将軍は兵士を激励するためにためらいなく汚い言葉をスピーチに盛り込んだ。1944年のノルマンディー上陸作戦において、パットン将軍はのちに広く知れ渡るスピーチをした。
「かつて祖国の為に死ぬことで戦争に勝った馬鹿野郎などいなかった。他のマヌケな馬鹿野郎どもを彼らの祖国の為に死なせる事によってこそ、諸君は勝利を掴むのである」
「我々は馬鹿野郎どもを撃ち殺すだけではなく、奴らの内臓を生きたまま引きずり出し、戦車のキャタピラーの潤滑剤にしてやる」
「我々が諸君に対して、あまりにも困難な要求を行っているといった不満があるかもしれない。私はそうした不満に文句をつけるつもりはない。私は1オンスの汗が1ガロンの血液を救うと信じているのだ」
「よし、クソッタレども。私の気持ちはわかっただろう。いつも、どこでも、諸君のような素晴らしい男たちを率いて戦えたことを私は誇りに思っている。以上」
敬虔な信仰心と輪廻転生
勇敢なパットン将軍は輪廻転生を深く信じ、今まで何度も軍人として生きたと述べた。1942年、パットン将軍がブラッドレー将軍と北アフリカのチュニジア前線を視察した時、古代ローマ時代の遺跡前でジープを止めさせた。パットン将軍は立ち止まり、二千年前の戦争について語り始めた。「まさにここが戦場であった。カルタゴはローマ軍に数年間包囲され戦闘能力を失い、城を守ることができなくなってしまった。カルタゴの全住民が殺され、死体は日差しにさらされた。二千年前、私はここにいたのだ」そして、ブラッドレー将軍と運転手に「私が言ったことを信じるか?」と尋ねたが、二人は茫然として言葉を発することができなかった。初めて北アフリカを訪れたはずのパットン将軍がなぜ二千年前の古戦場を知っているのか、二人は不思議に思うだけであった。
あるときパットン将軍の甥が「本当に輪廻転生を信じているのですか?」と尋ねると、将軍は「私はかつて沢山の場所を訪れたが、それは今生のことではない」と答えた。さらに将軍は、甥にある経験を語った。それは任務のために初めてフランスを訪れた時のことで、当時、親切なフランス人士官がパットン将軍を連れて町を見て回ろうとした。この申し出に対してパットン将軍は、「その必要は無い。私はこのあたりをよく知っている」と断った。士官はもちろん信じなかったが、将軍は士官を連れ、道に迷うことなく町の名所旧跡を隅々まで見て回ったという。
1944年、パットン将軍はフランス入りした際に「ガラスを通して覗いた昔」という詩を書き、その中で自分の前世を記した。その詩によると、パットン将軍は二千年前のカルタゴの戦士だけでなく、カエサル軍の戦士やナポレオンの陸軍元帥、英仏百年戦争のフランス人騎士、ペルシャ戦争時のギリシャ人勇士に転生したことがあるという。
パットン将軍は神に対しても敬虔で、勝利は自分たちの戦闘能力によるものではなく、神の加護によってもたらされていると考えていた。1944年秋、同盟軍はドイツに進軍し、パットン率いる第3軍も12月初頭にドイツのメッツを占領した。パットン将軍は引き続き東へ進軍しベルリンを占領するつもりだったが、連日の雨により進軍を阻められた。
この状態から脱するため、パットン将軍は従軍牧師に祈祷文を作らせ、全軍25万の兵士に配って祈祷するよう命じた。その祈祷文には次のように書かれている。「万能かつ慈悲なる天上の父よ、我々は心から祈ります。悪天候を回復させ、我々が戦うに足る好天を賜りますようお願い申し上げます。ご慈悲と憐憫の心で我々軍人の願いをお聞きください。絶えず勝利を収め、邪悪な敵を粉砕できるよう、あなたの神力で我々を助けてください。我々はこの世の中で、あなたのために正義を広めます」
さらにパットン将軍は牧師に次のように話した。「私は祈祷の力を信じている。重大な軍事行動には綿密な計画が必要であり、よく訓練された部隊の執行力も重要だ。しかし本当の意味で成功と失敗を決定するのは、神の助けが得られるかどうかである。それを運と称する人もいるが、私は神の助けであると信じている。だからこそ、我々は祈祷する必要があるのだ。困難に遭遇した際は尚更である。これまで神は、我々第3軍を加護してくださった。我々は敗退はおろか、食糧不足や疫病の流行に悩まされたことも無い。祖国の人々が我々のために祈っているからである。優秀な戦士には思考力と行動力が必要不可欠だが、そのうえに一層深いものを持たねばならない。それは勇気だ。勇気というものは、個人の認識より高い力や真理の存在に対する固い信念から生じるものであり、私にとっての固い信念とは、神や宗教に対するそれなのだ」
兵士たちの祈りが通じたのかその後数日間は晴天となり、第3軍は迅速に進軍して大きな勝利を収めた。この出来事は現在の軍事歴史研究家たちからも「奇跡」だと言われている。
一方のトランプ大統領は前世の記憶について語ったことはないものの、敬虔なキリスト教徒であることに間違いはない。彼は伝統的な価値観を守り、たばこも酒もドラッグもやらない。そして毎日勤勉に仕事をこなした。トランプ大統領は彼の著書「How to get rich」に次のような格言を載せている。「神を信じ自分に正直であれ(Trust in God and be true to yourself)」
(翻訳編集・文亮)
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