弟子規(10)

路(Lù) 遇(yù) 長(Zháng),疾(jí)趨(qū) 揖(yī)

長(Zháng) 無(wú)言(yán),退(tuì) 恭(gōng) 立(lì)。

騎(Qí) 下(xià)馬(mǎ),乘(chéng) 下(xià)車(chē)

過(Guò) 猶(yóu) 待(dài),百(bǎi) 步(bù) 余(Yú)。

長(Zhǎng)者(zhě) 立(lì),幼(yòu) 勿(wù) 坐(zuò);

長(Zhǎng)者(zhě) 坐(zuò),命(mìng) 乃(nǎi) 坐(zuò)。

【注釈】
(1)疾:快速。
(2)趨:速やかに前に進み出る。
(3)揖:両手で陰陽の形を作って礼をする。
(4)恭立:恭しく立つ。
(5)猶:いまだ、依然として。
(6)待:しばらく待つ。
(7)余:余り、以上。
(8)命:命令。
(9)乃:それで、はじめて。

【日文参考】

路上で年輩者に遇ったら、すみやかにその前に進み出て一礼し、何も話がなかったら、その傍らに恭しく立つ。自らが馬上にあって年輩者に遇ったら即刻に馬を下りる。自らが馬車にあって年輩者に遇ったら車を降りる。年輩者が歩き出してもしばらくその場で待ち、自分から百歩余り離れてから、ようやく歩き出す。年輩者が立っているときは、若輩者は座らない。年輩者が先に座って、若輩者にも座ってもよいと言ったら座る。      

【参考故事】

宋朝の進士であった楊時と游酢は、程門(注1)の四大弟子の中の二人で、彼らは遠く福建から河南まで師を求めて学びに来て、「程門立雪」の逸話を後世に残した。

楊時は幼少の頃から神童の呼び声高く、文章を書くのが得意で、二十代で進士(注2)に合格したが、高官の厚祿を放棄し、程顥に師事した。

游酢は幼少の頃から聡明で、一目みたものを暗唱できる。彼を一目見た師匠の程頤は、その資質を見抜いて讃嘆し道統を継がせた。楊時と游酢は、先に程顥に師事し、程顥の死後、さらに師匠の弟であった程頤に引き続き師事し指導を求めた。

楊時と游酢が初めて程頤を拝見したとき、外には雪が降り始めていたが、程頤はじっと目を閉じて静かに座っていたので、二人は敬意を表してその傍らに恭しく立っていた。半日もすると、程頤はようやく目を覚まし、いまだ二人が立っていたので驚き、「君たちはまだそこにいたのか?夜も更けたので、早く帰って休みなさい!」と言った。二人が外に出た時、すでに辺りは銀世界で、雪が一尺余り積もっていた。この逸話は、篤実に学を求める「程門立雪」の故事として後世に伝えられることとなった。

注1:程門とは、北宋の理學家であった程顥、程頤の兄弟を指す。彼らは萬事萬物が「道」から生まれると認識し、君王は「道に遵って行う」ことを国を治める原理とし、德をもって主と為し、法制を兼備して考えるものとした。程門の教えは、厳格にして清苦であったが、師事を求める者は後を絶たなかった。その弟子であった朱熹に至っては、四書集注(論語、孟子、大學、中庸)を編纂し、これが元、明、清の三代に渡る科挙試験の主要な根拠となったため、「程朱理學」あるいは「官學」と称される。

注2:中国官僚の選抜試験。合格者は昇殿を許され、皇帝の側近として宮廷を補佐する役目につく。

(竜崎)