弟子規 (31)

弟子規 (31)

dú shū fǎ,yǒu sān dào;xīn yǎn kǒu,xìn jiē yào。
讀書法,有三到;心眼口,信皆要。

fāng dú cǐ,wù mù bǐ;cǐ wèi zhōng,bǐ wù qǐ。
方讀此,勿慕彼;此未終,彼勿起。

kuān wéi xiàn,jǐn yòng gōng;gōng fū dào,zhì sè tōng。
寬為限,緊用功;工夫到,滯塞通。

xīn yǒu yí,suí zhá jì;jiù rén wèn,qiú què yì。
心有疑,隨劄記;就人問,求確義。

【注釈】
(1)法:方法。
(2)三到:心、眼、口を用いる。
(3)信:確實。
(4)皆要:みな重要。
(5)方:最中
(6)此:これ。
(6)慕彼:別の一個を想う。
(7)未終:いまだ終わらないうち。
(8)起:開始する。
(9)寬:余裕をもって。
(10)限:限定する。
(11)工夫:時間と精力を費やす。
(12)滯塞:滞って通らない。
(13)隨:すぐに。
(14)劄記:筆記する。
(15)就人問:人を探して聞く、教えを請う。
(16)求:探し求める。
(17)確義:本当の意義、意味。

【日文参考】

読書をするには、三つの事をしっかりやる必要がある。心で考え理解し、目で見て確認して、口で唱え音読するのである。この三つは非常に重要である。この一書を読み終わらないうちは、別の一書を想ってはならない。読書の計画には余裕があってしかるべきであるが、読書の時には集中力が必要である。時間と労力を費やせば、分からない個所も自然と通じるものである。読んでいてもし心に疑問が湧いたら、即刻に筆記して書き留めておき、人を探して本当の意味を確認しておく。

【参考故事】

范仲淹は字を希文、北宋の名臣であった。彼は二歳のときに父親と死別し、母親は頼るところもなく、仕方なく山東長山の朱氏のところに再度嫁入りした。仲淹はまだ年少時に長白山の僧舎に預けられて読書をさせられ、毎日二升の粟を煮ては粥をつくり、夜凝固するのを待って、それを刀で四つに切り分け、朝晩で二切れずつ、それにニラなどの野菜を酢漬けや塩漬けにしたものを添えて食べ、このようにして三年を過ごした。

彼は成長してから自らの出生を知り、生き別れになった母親を想うと切なく、河南の應天府に行くと、戚同文に師事した。朝晩勉学に刻苦精励し、五年間は床で眠らなかった。冬の日に疲れると、冷水で顔を洗い、往々にして食事をとらないこともあり、午後になってやっと食事を口にした。普通の人では耐えられない生活でも、仲淹は苦しみとせず厭わなかった。

あるとき、宋の真宗が南京を通り、街の皆がこぞってこれを見に行った。しかし仲淹は門を閉ざし、相も変わらず読書をしていたので、同学は皇帝を見る機会を失うのではないかとあやぶんだが、彼は、「後日また再会するときもあるでしょう。それはそう先のことでもなさそうです」とさらりとかわした。

南京の長官の息子が、彼が一年中粥しか口にしていないのを見て、美食を贈ったが、彼は一口も受け付けようとはしなかった。人々は怪しんだが、彼は拱手の礼をもって答えた。「私はもう粥をすする生活に慣れました。もし美食を口にしてしまうと、以降貧乏が怖くて耐えられなくなるでしょう」

二十七歳のとき、彼はついに科挙の試験に合格し、母親をひきとって面倒をみて、姓も範に戻した。後に朝廷での試験のときに、彼ははじめて五十一歳になった真宗皇帝に謁見することになる。

仲淹は苦学の後に六経に精通し、大志を懐に抱き、天下の為に尽くし、常々こう口にしていたという、「士は天下が憂える先に憂い、天下が楽しんだ後に楽しむ」

(竜崎)