古代の人々は、なぜ人を軽蔑するときに「白い目」をしたのか?

よく耳にする「白い目」とは、目を回すこと、つまり白い目をむいて人を見ることです。軽蔑、嫌悪、歓迎しない意味があります。古代の書物にも記録があり、例えば、唐代の戴叔倫の『行路難』には、「白眼向人多意氣,宰牛烹羊如折葵」があったり、清朝の蒲松齡の『聊齋志異·阿纖篇』には、「我以人不齒數故,遂與母偕隱;今又返而依人,誰不加白眼?」という話があります。

では、なぜ古代人は人々への軽蔑を表現するために「白い目」を使ったのでしょうか?

「白い目」という言葉は、『晉書阮籍傳』に由来するもので、「籍又能為青白眼,見禮俗之士,以白眼對之」という記載があります。 阮籍は三国時代の魏尉氏の出身で、才能に優れ、自由奔放で型破りな個性を持ち、礼教を無視し、大酒を好み、老荘思想を愛し、竹林の七賢の一人でした。阮氏は非常に親孝行であり、礼教にこだわらないが、よく興味深い話をして、他人を気軽に判断しない人でした。

阮籍は、青い目と白い目を使い分けることができ、礼法を重視した儒家のような気に入らない人物に対しては白い目で対応し、気に入った人物に対しては青い目で対応したという話があります。阮氏の母が亡くなった時、彼は悲しみのあまり、二回酒を飲んだ後、大声で泣いて数リットルの血を吐いたことがありました。嵆喜は礼法に則り弔問したときに、阮籍が白眼視したので、嵆喜は怒って帰ってしまいました。弟の嵆康がそれを聞き、酒と琴を持って阮籍の家を訪れると、阮籍は喜んで青い目で迎えたという話が、「白い目」という言葉の由来です。

白い目は白眼、侮辱や軽蔑の表現にも使われます。例えば、唐王朝の杜甫の『丹青引贈曹霸將軍』には、「途窮返遭俗眼白,世上未有如公貧」という話があり、『晉書・阮籍傳』には、「籍大悅,乃見青眼」という話では、阮氏が「青い目」で人を見ていたことも語られています。

青は黒を意味し、古代人は黒い目を「青い目」と呼んでいました。人を正視していときに、ひとみが真ん中にあるので、「青い目」とは、目が正常な状態であることを意味します。「青い目」と「白い目」は正反対で、青い目は人々への愛や敬意を表します。 私たちが今日よく使う「青睞」、「青目」、「青眼」、「垂青」はすべてこれから由来するものです。

そのゆえ、「青い目」と「白い目」は人を見る姿勢ですが、実際には心の状態であり、人に対する敬意と軽蔑が現れるまったく異なる二つの態度になります。

翻訳・啓凡