「よみがえる命」英国の厩舎で起きた奇跡

ここはイギリス南西部のバースに近い、広々とした田園地帯です。

イギリス人夫妻のドナルドとジェーンは、ここで23頭のを飼っています。馬はイギリス原産のシャイヤーという種類で、大きいものは1トン以上にもなる重量種の馬です。

この牧場には、同じ厩舎に住む、仲の良い「馬の夫婦」がいました。「夫」は12歳のボー。姉さん女房であるベアトリスは、つややかな褐色の16歳です。

年の初めのこと。ベアトリスはひどい腹痛をおこしたためか、厩舎のなかで倒れてしまいました。体を痙攣させて、苦しむベアトリス。このままでは、呼吸困難か臓器不全で死んでしまうかも知れません。

「寝かせたままでは良くない。腸内の毒素を排泄できなくなる」。ドナルドとジェーンは、なんとかベアトリスを立ち上がらせたいと思い、牧場の4人の労働者とともに、あれこれ方法を考えました。

ベアトリスの重い胴にベルトを回し、滑車にかけたロープをトラクターで引いて彼女を立たせようとしましたが、1トンの体重を支える4本の足には全く力が入らず、どうしても倒れてしまいます。

6時間が過ぎても、ベアトリスはまだ同じ場所に倒れていました。体力の消耗とともに、彼女の体温が下がり始めています。心拍数と血圧は上昇。苦しげな呼吸だけが厩舎に響いています。状況は、悪くなる一方でした。

ドナルドとジェーンには「最後の、最も避けたかった手段を取らざるを得ない」と分かっていました。それは長年世話をしてきた馬を、速やかに安楽死させることです。

ドナルドは妻の目を見て、言葉には出しませんでしたが「いいね」と確認しました。

ジェーンも夫が示した意味を目で受けた後、涙をためたその視線を地面に落とし、「いいわ」と無言でうなずきました。

ドナルドは、断ち切れぬ悲しみを振り切るように、すぐに「準備」に取りかかりました。「ベアトリスの苦痛を早く止めてやる」ということだけを、努めて考えるようにしました。

そう考えなければ、これから自分がやろうとする行為が、やむを得ないこととは言え、とても神に許されないように思われたからです。

そこへ運んできたのは鍵つきの木箱でした。蓋を開くと、家畜用の注射器と安楽死に導く薬剤が、猟銃のように冷たく並んでいます。「使うのは初めてだな」。自分の気を紛らわすため、そんな独り言をつぶやいたドナルドでしたが、ふと思い出したことがあります。

「先に、ボーを外へ出さなければならない」。

それは獣医に依頼してある「予定時刻」の20分前のことでした。ジェーンは厩舎の扉を大きく開き、ボーを追い立てて外の草地へ出そうとしました。

ところが、ボーは草地へ出ようとせず、ベアトリスが倒れ込んでいる区画に迷わず近づいてきたのです。柵の上から首をのばし、愛する「妻」であるベアトリスを目覚めさせるため、鼻先で突き、その耳を噛み続けるボー。

ドナルドとジェーンは、神に祈りながら、その光景を凝視していました。

20分が経ち、周囲で見守っている人間の誰もが諦めかけた瞬間、ボーは天から降った落雷のような激しさでベアトリスの首に噛みつき、力まかせに上へ引っ張り上げたのです。

一度もち上がったベアトリスの首と頭が、どさりと音を立てて厩舎の地面に落ちました。すると、その衝撃が幸いしたのか、遠く離れていたベアトリスの意識が戻り始めたのです。

「ドナルド、見て。ベアトリスの目が、森の泉のように澄んできたわ」。

数分後、なんとベアトリスは、その命を蘇らせるように、大きな馬蹄でしっかり地面を踏んで立ちあがったのです。体内の毒素も排出されました。「ボーの愛が奇跡を起こした」と誰もが思いました。

ドナルドは、傍らで同じ光景を見ていた獣医にお礼を述べ、今日の出張費用はいくらですかと聞きました。すると獣医の先生は、こう答えたのです。

「私は何もしていません。全ては、ボーのお手柄です。ありがとう。今日、私は獣医として貴重な研修をさせてもらいましたよ」。

私への支払い金で、ボーに上等の飼葉を買ってあげてください。そう言うと、獣医の先生は車に乗り、夕陽のなかをバースの街へ帰って行きました。

(翻訳編集・鳥飼聡)