日本の「経営の神様」松下幸之助の生涯を見る(3)

松下幸之助の経営哲学「ダム経営」は妻の家計のやりくりから生まれた

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※この記事は2021年9月13日の記事の再掲載です

さて、いよいよ幸之助の時代がやってきましたが、それはひとまず置いておいて、高等教育を一切受けていない彼のダム経営の知識はどこから来たのか、という話をしましょう。多くの人は天才だと言っていますが、実はこれらの知恵は主婦の日々の家事から来ているのです。

失敗を財産とし、そこから教訓を学ぶ

彼が賢かったところは、どんな逆境の時でも人生の貴重な財産として捉え、前向きに教訓として学び、失敗を無駄にしないようにしたことでしょう。彼の知恵の源は、日々の生活の中の小さなことでした。多くの人は、強い志や願望、生活上での人を愛する気持ちが欠けているため、同じ人生であっても刺激を受けることが少ないのかもしれません。

彼は願望を実現したいという気持ちが並外れて強く、仕事や身の回りの小さなことにも真剣に取り組み、逆境の中でもしっかりと考えてながら行動していました。そのため大打撃を経験した時でさえ、奇跡的に乗り越え、その後もほとんどその影響を受けませんでした。事業も順調に推移していた後も、浅はかな考えによって妻や弟に苦労をかけた失敗を繰り返さないよう細心の注意を払い、また、工場が立ち行かなって、多くの従業員の生活や将来性に影響を与えることのないようにするため、資金の問題を解決した後、彼は工場の経営をどうするかを真剣に考えはじめました。

奉公時代、幸之助は、赤ん坊をあやすために自分の給料の5分の1をつぎ込んだほど、お金に全く執着しませんでした。しかし、お金に執着しないということは、お金の管理を適当にした挙げ句、会社の収益がなくなるというようなこととは違います。幸之助の考えは、他人の栄光や富を羨んだり、お金儲けをビジネスの最終目標とする事でもなく、従業員に希望と前途を与え、彼らの生活をより良いものにし、その事により会社がますます成功を収め、ますます業績をアップする。それこそが創業者の責任であるというものでした。この失敗から得た教訓は、資本をしっかりと管理し、それを最大限に活用することが、円滑な経営につながり、会社を安定させることでした。その結果、松下電器は世界経済の低迷の影響を受けることなく、経済的不景気を乗り越えることができ、彼はこの管理を「ダム経営」と名付けました。こうしてみると彼は運だけを頼りにやってきた無謀な経営者ではなく、彼も最初はあまりにも無知でした。

妻の家庭経済が「ダム経営」の原点

彼の知恵は、彼の代わりにお金を管理してくれた妻のおかげです。最初の失敗で影響を受けたのは、自分のほかに当時21歳の妻と14歳の義理の弟の3人だったからです。結婚当初から家計を預かっていた妻は、夫が事業を始めようとしたとき、パートナーとして会計を管理していました。

妻は家庭経済を管理するのは複雑ではなく、事業を始める前は、夫が給料を受け取るたびに、その一部を積み立てて予備のために貯金し、残りを家賃や新聞代、光熱費、食費、生活費などさまざまな支出に細かく分け無駄がないよう管理していたといいます。

妻の細かく厳しい管理がなければ、100円の資金でさえ残ることはありませんでした。今まで家計のことは一切を妻に任せていましたが、この危機を境に、妻の家庭経済管理について考えるようになったといいます。そしていざという時のために予備費を用意しておくことや、生活費の予算を決めておくことなどの家庭経済を学び始めました。それは、余裕を持つためにお金を蓄えるということです。それ以来、銀行からの借り入れも、経費の立て替えも、常に余裕を持って行うようになりました。

例えば、運転資金を賄うために銀行から1000万円を借りたい場合、あらかじめ1300万円程度の借り入れをし、不測の事態で再度借り入れをしないようにします。2度借り入れをすると、銀行に「会社の運営に問題がおこり、再度お金を借りている」という印象を与えてしまうからです。また、銀行に不信感を与えることになります。この方法は後世の日本企業でよく行われるようになりました。

もし1300万円が借りられなければ、1000万円を借りればよく、企画に従って支出し、800万円ほどしか使わずに事業を開始させました。彼はいつも、常に非常時に備えて資金を準備していました。

成功後、幸之助は自分の経営体験に「ダム経営」と名付けました。多くの人は天才的な理論であり、近代的な革新だと思っているようですが、実際には最も一般的で伝統的な主婦の家庭経済の管理方法であったのです。ただ、生活経験や知恵を生かして、電化製品の時代に生まれた一般市民にも分かりやすいようにダムに例えました。ダムといえば発電だけでなく、水量もコントロールし、渇水時に備えて水を貯め、いざという時使えるだけでなく、洪水をも防ぐことができます。

松下幸之助はこの後もこの原理を使い、人材や資本、設備を有効に活用し、また不景気の時は蓄えていた資本や人材を新製品の開発や後継者の育成に活用し、慌てることなく難を乗り切り、先見の明を示しました。

今の日本の主婦はやっぱりすごい

多くの人が現代の高等教育を受けていない主婦が、どうやって家計を管理できるのか疑問に思うでしょう。実際、伝統的な家庭では、夫と妻の役割は非常にはっきりしています。夫は外に出て稼ぎ、妻は内で金銭的な管理も含めて家の中のすべてのことを切り盛りし、それぞれが自分の仕事をし、役割を果たすことでお互いに信頼し、支え合い、感謝し合っていました。

しかし中国は文化大革命の影響で伝統的な文化や家族の価値観が失われているので、現在は理解されるのが難しくなっています。実際、『紅楼夢』を読んだことのある人は、王熙鳳の家政婦としての素晴らしさに感嘆せざるを得ないでしょう。彼女は徳を重んじており、高学歴教育も受けていませんでしたが、古代中国では母親が家族を管理することが基本的でどの方法も素晴らしいものでした。また、寶釵と探春をみてみましょう。彼女は王熙鳳が病で臥せった時、夫から家事を任されました。その時にみせた発展的な知恵と能力は多くの人を驚かせました。現代でよく言われている、いわゆる契約責任制は、寶釵管の時代から存在していました。これらは、古代の妻の義務であり、女性の才能であり、歴代の家族の伝統でもあり、母から娘に自然に引き継がれたものであり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

現在でも、日本の主婦は誰もが家計簿をつけて毎月の収支を把握し、子供の学校の学費、家庭の水道・電気代、交通費、電話通信費、食費、保険料、お小遣い、休日の旅行など、かかる費用を計算しながら一定額を貯めており、支出が収入を上回ることがないようやりくりをしています。妻はお金を管理し、その使い道を夫に説明しなければなりません。夫は自分の給料をすべて、明細書と一緒に妻に渡します。誰もそのお金が自分のものだとは思っていませんが、妻は家庭内の財務大臣のように、お金の使い方を記録し、すべてを整理して管理する責任があり、決して主婦の地位が低いとは感じさせません。これが、中国が伝統文化を失った後の古代人に対する解釈です。

現代の日本の経営は古代の知恵からきている

古代の人々は、家庭を経営することと国を治めることの本質を同一視していました。つまり、国や世界を治める方法を知る前に、自分の道徳心を養い、家庭をまとめあげることが重要なのです。そのため幼い頃から家族関係を重視しており、家庭生活の基本を知り、日々の家事などを身につけてから、さらに技術や知識を学ぶことが重要とされているのです。幸之助は、近代的な教育の道を受けることなく、伝統的な職人のような師弟関係や、伝統的な家庭の運営から常に刺激を受け、知恵を得ていました。

日本会社の社長は、よく「親分」と呼ばれていますが、それは、まさに父親と言うことで、大家族の経営者が、責任を持って従業員の面倒を見て養っていることに相当します。古くから中国の伝統的な思想の影響を受けてきた日本では、このような伝統的な知恵が多く残されており、家庭を管理することは、会社や国を管理することと同じであると考えられています。現在の日本では、家事は今でも家政学と呼ばれています。

日本の経営の多くは、実は古代の知恵に由来しており、それを現代の企業という具体的な文脈の中で実践し、現代人が見てもわかるような形で現代の経営に反映させているのです。実際、欧米で説かれている成功法則の1つに「お金を貯める人はビジネスで成功しやすい」というものがありますがこれも同じ原理です。人と真剣に向き合い、日常生活の中で人と接し、一生懸命考え、学ぶことで、会社経営や人生の成功を手に入れることができるのです。

卑怯者、達成を急ぐ人、一攫千金を夢に見る人や、地に足がつかず、安定した仕事ができない人は、長続きせず真の成功を手に入れることはできません。

(完)

(翻訳・清水慧美)