偽のワクチンで8千人の命を救った医者

医学は高度な知識や技術によって人を救う学問であり、その知識をどう扱うかは人の倫理観、道徳観に左右される。世の中には偽のワクチンで人命を害する犯罪者もいれば、偽のワクチンで8千人の命を救った功労者もいる。この功労者とは、ポーランドの医師、ユージン・ラゾウィスキ氏である。

第二次世界大戦時、ラゾウィスキ医師はポーランドのスタロバ・ボラという町で診療を行っていた。ある日、一人の男性が突然ラゾウィスキ氏を訪ねてきて、彼に助けを求めた。当時、数多くのポーランド人がナチスに連行されて強制労働をさせられており、この男性もその一人だった。

男性は親族訪問のため2週間の休暇を得ていたが、休暇が残り少なくなるにつれ、強制労働収容所に戻りたくない一心からこのままどこかへ逃げてしまいたいと考えた。だがそんなことをすれば家族を巻き添えにする恐れがあり、思い詰めた男性は自殺を考えるまで追い詰められていた。そんな時、ある特殊な病気に罹れば収容所送りを免れることが出来ると知り、ラゾウィスキ医師のもとへ相談に来たのである。

ラゾウィスキ医師は男性を助けるため、ある偽のワクチンを製造した。このワクチンを注射すると発疹チフスの陽性反応を呈することが出来るが、実際は病気には罹らない。そしてラゾウィスキ医師が偽ワクチンを接種した男性の血液サンプルをドイツの実験室に提出したところ、思惑通り、その男性は発疹チフスに罹っていると判断され、収容を免れることになった。

当時のナチスドイツ当局は、発疹チフスを大変恐れていた。第一次世界大戦時、多くの兵士が発疹チフスによって命を奪われたからだ。ナチスはポーランドの医者たちに、チフス罹患者を発見した場合は速やかに報告するよう求めており、報告があった際には血液サンプルをドイツの実験室に提出させ、そこで最終的な診断を行っていた。陽性反応を確認して罹患が確定すると、すぐに患者を隔離するという規定もあった。

偽ワクチンでの最初の症例が成功すると、この噂を聞きつけた人がたくさん接種を求めてラゾウィスキ医師のもとを訪れた。そうして間もなく沢山の「発疹チフス患者」が現れ、この地域はすぐにナチス当局に「伝染区域」と指定され、隔離措置を取られるようになった。

この作業はラゾウィスキ医師が友人の医師と2人で秘密裏に行っていた。偽ワクチンを接種した市民たちには何も知らせず、また、偽ワクチンの製造には慎重を期して、本当の感染が起こらないよう用心もしていたが「感染者」が多く発生している中で死者が一人も出ていないというのもおかしなことだ。この異常な事態に、当然ナチス当局は目をつけ、調査チームを派遣し現地調査を行うことになった。困ったラゾウィスキ医師らは一計を案じた。

 

彼らは、偽ワクチンを接種した人の中から健康状態が芳しくないように見える人を集めて汚い部屋に閉じ込めておいて、調査チームの幹部たちを高級料理で接待している間に、調査チーム内の下っ端たちを連れて検査に行った。下っ端の医者たちは自分が感染することを恐れ、たった数人の「患者」から採取した血液で陽性反応が出ると、早々に撤収した。幹部たちも同様に本心では「危険区域」に踏み入りたくなかったため、下っ端の医師たちが行った検査結果をそのまま認定し、現場から早々に離れた。そして調査チームは二度と戻ってはこなかった。

そしてこの「伝染区域」はやがてユダヤ人の「天国」となった。多くのユダヤ人がこの区域に逃げ込んでナチスの連行を免れた。3年の間に、偽のワクチンは約8千人のユダヤ人を救ったのである。

8千人もの命を救ったラゾウィスキ氏の実績は、第二次世界大戦中に1200人のユダヤ人を救ったことによって有名になったドイツ人実業家、オスカー・シンドラー氏の実績より遥かに大きい。しかしあまり報道されていないため、この事実を知る人は少ない。

かつて「伝染区域」とされた町の住人たちは、ラゾウィスキ医師の功績を讃えるための記念集会を行ったという。