第5話:人間としての最初の基本的な2つの条件【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】

原文

香九齢、能温席、孝於親、所當執。

融四歳、能譲梨、弟於長、宜先知。

訳文

香九齢 香(こう)は九齢(きゅうれい)にして
能温席 能(よ)く席(せき)を温(あたた)む
孝於親 親(おや)に孝(こう)あるは
所當執 当(まさ)に執(と)るべき所(ところ)なり
融四歳 融(ゆう)は四歳(しさい)にして
能譲梨 能(よ)く梨(なし)を譲(ゆづ)る
弟於長 長(ちょう)に弟(てい)あるは
宜先知 宜(よろ)しく先(ま)ず知(し)るべし

解釈

黄香は9歳にして、寒い冬の夜に父親が寝床に入る前に、自らの体で先に父親の床を温めることができました。黄香の行動が物語っているように、親孝行は子供にとって当然の務めなのです。

孔融は4歳で謙虚であることの大切さを知っていたので、兄弟で梨を分ける時、兄に大きい方の梨を譲り、自分は小さい方を食べました。弟や妹である者にとって、年長者を敬うことは、幼い頃から知っておくべき道理です。

筆者所感

一、父母への孝敬

三字経』ではこれまで、教育の本質に焦点を当ててきましたが、前話からは、なぜ人は教育を受けなければならないのか、学ぶことの重要性など、直接、子供たちへの指針となる具体的な内容へと移りました。

前話で紹介した「人不學、不知義」とあるように、将来、社会で役立つ人間になるためには、正しい知識を身につけ、人としての正しい道理を知ることが大切です。そのため子供たちには「親師友、習禮儀」、良い先生や友達と仲良くし、そこからマナーや社会での正しい振る舞い方を学ぶよう教えるべきです。

よって、今回紹介する八句では、人として最初に知っておくべき最も基本的な道理が描かれており、古代における2人の子供の実話を例に挙げ、子供たちが人として正しい方向へと成長していく上で何から始めれば良いのかを示しています。

世の中での正しい振る舞い方を理解するためには、人間としての最初の基本的な2つの条件を覚えておかなければなりません。それは「孝悌」、つまり父母に孝行で、兄姉などの年長者には敬意を表して仕えることです。

子供に最初に教えるべきは、敬うという気持ちを持って身近な人、ひいては「年長者」に向き合うべきであることであり、これはすべての人間の基礎となるものです。

孔子はかつて「孝悌也者,其為仁之本矣(孝悌なる者は、其れ仁の本為るか)」と述べましたが、つまり父母を敬い、兄姉などの年長者を愛して尽くすことが、仁愛の根本であるということです。

漢字における「孝」の原義は、両親を敬い、感謝することであり、いわゆる目上の人への道義です。また、将来社会に出た時、他の人の親や自分の親と同世代の人、あるいは職場での上司や先輩など、すべての年長者に対する基本的な態度を指します。これらはすべて、家庭での親への孝心に基づいています。つまり、幼い頃から目上の人に対する尊敬の念、謙虚さ、威厳のある態度を身につけることが非常に重要なのです。

二、「孝」を以て国を治める伝統文化

「孝」という字は、上部分が「老」、下部分が「子」で成り立っています。主に子弟からの年長者に対する敬愛の態度を表す言葉として用いられます。そのため広い意味での「孝」は、社会全体へと広まり、すべての年長者やお年寄りを尊敬し、思いやるとする風潮が出来上がります。社会全体がそのようになれば、国家も安定するというものです。よって漢の時代から、皇帝が孝行することが治国に繋がるという伝統が残されたのでした。皇帝は自身の親への接し方から手本となるよう振る舞い、また同じような優しさと愛情をもって国民を守るよう努めました。

そのため古代では、官職に人を推薦する際には孝廉であることが非常に重要視されていました。親に孝行である人こそ、慈悲深い心を持っていると認識され、民衆に感謝し大切にすることを知っていると考え、高く評価され信頼されていたのです。

三、「悌」の含意

「悌」の一字も同様に敬愛の意味を持ち、年長者への基本的な態度と修養を表しますが、この字が「孝」と異なるのは、自分よりも地位や立場の高い上司や目上の人に対して使われる言葉ではなく、自分と同じ立場でありながらも自分より年上の人に対して用いられます。まず例として挙げられるのが、家族の中においての兄や姉です。礼儀正しく、親しみを持って接することが大切であり、それが一種の優しさや愛でもあります。この関係性と基本的な姿勢を理解した上で、礼儀正しく、謙虚な言動を心がけなければなりません。

四、人はなぜ「孝悌」であるべきなのか

ところが、きっと子供たちの中には、なぜ上から下への愛ではなく、下から上への姿勢ばかりを強調するのかと納得できない子も多くいることでしょう。実のところ、両親や兄姉からの愛、特に親の子供に対する気遣いや心配りは、心の底から湧き出るもので、宝に対する愛と同じくらい尊いものです。子供のためにすべてを捧げるような愛情は、親として自然なものはでありますが、過度に溺愛し過ぎると、子供は甘やかされて育ち、親が与えてくれるものを当たり前のように享受する恩知らずの子になってしまいます。

また、この世において、無条件の愛を与えることができるのは親だけであり、そのため人は常に他人の無私の愛を親の愛のように喩えてきました。例えば、先生(中国では特に敬愛している師を「師父」と呼ぶ)が与えてくれる優しさは父の愛のように偉大であり、だからこそ人々から先生(師父)と呼ばれるのです。この恩情に感謝しないわけにはいきません。自分を愛してくれる親に対してさえ、敬愛し仕えることができなければ、それはもう人間としての価値がないも同然です。

自分より上の兄姉に対しても同様です。兄姉は親ほどではないものの、弟妹の面倒を見たり、様々な事を教えたりなどと教育における責任の一端を担っています。そのため問題が起きると、真っ先に親に責任を追及されます。中国の古い言葉に「兄は父のように、姉は母のように」というものがあります。つまり、兄姉は弟妹の面倒を見るために多くの責任を担い、また家族のために多くの犠牲を払うことになり、年上であるがゆえに、弟妹のような自由や裁量権はないということです。そのため、弟妹である者は兄や姉に感謝し、尊敬し、謙虚でなければなりません。

上司や年長者を親のように、年上の友人を兄弟のように扱い、適宜進退を図り、謙虚で礼儀正しく、円滑な生活を送ることは、家庭における親孝行や兄姉への愛など、「孝悌」の心から生まれるものです。

だからこそ、孔子は「孝悌也者,其為仁之本矣(孝悌なる者は、其れ仁の本為るか)」と強調したのです。

中国の礼儀作法を重んじる文化の核心は、「仁義」を守ることにあり、まずは家庭における親子や兄弟姉妹の関係の中で正しい基礎を築くことで、大人になって社会に出た後、人との接し方がわかるようになるというものです。したがって、「親師友、習禮儀」、いわゆる「先生や友人から礼儀を学ぶ」ということは、まず礼儀の核心が仁義にあること、そして仁義は孝悌の上に成り立っていることを理解する必要があります。

日本では、ご先祖様やお客様に対する謙虚さや感謝の気持ち、敬意を特に重視しています。それは、日本の人々が隋や唐の時代から、中国の伝統的な人としての基本的な道理を教えられてきた所以であり、その考え方や姿勢は今日に至るまで一度も破壊されず、現在も維持されています。

 

故事寓話
 

(リボンスター / PIXTA)

(一)黄香、枕を扇ぎ衾を温む

後漢時代の江夏の出身である黄香は、幼い頃から非常に孝行な息子で、地元の人々から「小孝子(非常に孝行である子の意)」と呼ばれていました。9歳で母親を亡くしてからは、より一層父親に孝行するようになり、体力仕事は自分が率先して行い、父親がもっと休めるように、もっと快適に過ごせるようにと、その方法を毎日模索していました。

夏は暑くて蚊が多い時期ですが、父親が時々暑さのために眠れなかったり、蚊に刺されるのを恐れていたことを知っていた黄香は、父親が眠りやすくなるように、毎晩、父親が寝る前に、扇で枕元を扇いで涼しくし、蚊を追いやってから、父親を寝床に案内しました。寒い冬には、まず自分が冷たい布団の中に入り、衾(古典的な寝具の一種)を温めてから、父親を寝床に誘ったのでした。

やがて、彼の親孝行ぶりは都中に広まり、誰もが知るところとなりました。少年時代から広く経典に精通し、優れた文才の持ち主であった彼は、「天下無双の江夏の黄童」と称えられました。当時、江夏の太守はこの話を聞いて、黄香の孝行を高く評価し、朝廷に奏請して彼を表彰するよう進言しました。

「冬月溫衾暖,炎天扇枕涼;兒童知子職,千古一黃香(冬は寝床を温め、夏は枕を扇いで涼しくする。すべき事を知る子、黄香は千年に一人の子)」。これは後世の人たちが黄香を称賛して詠んだ詩です。

(二)孔融、梨を譲る

孔融は、中国後漢末期に豫州魯国で生まれ、孔子20世の孫に当たります。彼は生まれながらにして淳厚で、幼い頃から謙虚な姿勢を心得ていました。4歳になったある日、知人から梨が送られてきて、父親はまず孔融にひとつ選んで食べるよう言いました。孔融は一番小さい梨を取りました。不思議に思った父親が、「なぜ大きい梨を選ばなかったのだ?」と尋ねたところ、孔融は「自分は年齢が一番下だから、小さいのを食べればいいよ。兄さんは自分より年上だから、大きいのを食べるべき」と答えたのでした。それを聞いた人々は、大いに感動し、彼を特別褒め称えたと言います。

上で紹介した二つの物語は、どちらも親孝行や兄弟愛の良い例です。親はこのような子供を見て、喜ばないわけがありませんし、自分の苦労が報われたと感じることができます。このように理解ある弟を前にした兄は、弟への愛情が無駄ではなかったと感じ、より一層弟たちを可愛がり、大切にするでしょう。感謝の心を知っている人は、親孝行ができ、友愛の心を持つことができ、それが周りの人を感動させることになるのです。皆がそういう心を持っていれば、争い事は自然と減り、人々の関係性がよくなるものです。

ここに挙げた例はいずれも、下の者が上の者に対してどのような態度をとるかが重要であることを示しています。古代の人々は、上の者は下の者に対して、育て、世話をし、保護する責任と義務があり、それによって下の者が恩恵を受けているのだと考えていました。よって、下の者は上の者に対して敬愛することが大切だと強調してきたのです。

現代社会では、子供は親不孝者が多く、親は奴隷や召使いのように扱われ、若者は高齢者を馬鹿にし、赤ちゃんや子供は残虐行為や育児放棄に遭い、人間関係は混沌としており、それぞれの役割や道徳的義務が頭から抜け落ちています。年寄りを敬い、若者を愛するという伝統はなくなり、父と息子が恩讐の対象になっているケースもあります。父子や兄弟さえも不義理な関係になってしまい、「敬愛」や「孝悌」は人々の心の中から忘れ去られてしまったのかもしれません。

つづく

——正見網『三字経』教材より改編

文・劉如
翻訳編集・牧村光莉

劉如
文化面担当の編集者。大学で中国語文学を専攻し、『四書五経』や『資治通鑑』等の歴史書を熟読する。現代社会において失われつつある古典文学の教養を復興させ、道徳に基づく教育の大切さを広く伝えることをライフワークとしている。