ムー大陸の遺跡か「西崎ピラミッド」
1985年、あるダイビングインストラクターが偶然、日本・与那国島の海底で荒れた遺跡を発見しました。その遺跡の面積は非常に広大で、与那国島だけでなく、沖縄本島の海底まで広がっており、城や凱旋門のような遺跡はもちろん、5つの寺院と、大型の運動場のような建物もありました。道路と水路、そして、巨大な城壁がこれらの建築物を囲っています。
1990年、台湾・宜蘭県外海の60海里離れたところ、与那国島最西端の西崎海域の海底で、岩石を積み上げた巨大なピラミッドが発見されました。このピラミッドの幅は183メートル、高さ27.4メートルあり、長方形の岩石で積み上げられ、全部で5層あります。付近には幅10メートル、高さ2メートルのミニピラミッドがいくつか建てられています。この巨大なピラミッドは奈良の「益田岩船」に似ています。
地質学者によると、これらの高さ1メートルもある岩石でできた巨大な階段は、一種の階段式ピラミッドであり、そして、シャープな断面は自然では作れないといいます。
ピラミッドの頂点は、城門、回廊、展望台のようになっていて、城門には象形文字のような模様が彫られていることが、地質学者の仮説を裏付けています。
専門家たちは8年間の実地調査を経て、この海底遺跡は1.5万年前、琉球諸島と中国がまだ繋がっていた頃に栄えたムー文明の遺跡ではないかと推測しています。大地震により、地質が変化し、この部分が海底に沈んだのではないかというのです。
ムー大陸は、ジェームズ・チャーチワードが提唱した説で、彼によると、紀元前の太平洋区域では、日本も、沖縄も、台湾も同じ大陸にあり、そして、この南アメリカ大陸よりも広い土地では、ムー文明が栄えていたといいます。
この伝説により、「立神岩」が島の象徴となり、この岩付近の海域は、「聖なる海」と呼ばれていたそうです。琉球大学の海底調査チームは、立神岩が立っている真下で、高さ数メートルの人の頭の彫刻を発見し、古代の象形文字など、明らかに人工的に刻まれた跡が残っているというのです。長い歳月が流れましたが、海底撮影技術の下、人間の顔の特徴が明白に映っていました。
この発見は、ジェームズ・チャーチワードのムー大陸説と一致するだけでなく、1万年前の地盤沈下をも証明しました。この海底ピラミッドは消えたムー大陸の謎を解く重要な鍵となると考えられています。
(つづく)
――正見ネットより転載
(作者・意文/翻訳編集・天野秀)
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