世界中のピラミッド(69)マヤ文明が消えた謎

マヤの謎その3:マヤ文明が消えたわけ

マヤ文明は紀元7世紀から8世紀に最盛期を迎えましたが、9世紀には突如、姿を消しました。古代都市コパンは800年頃に廃棄され、マヤ最大の都市と言われているティカルでさえも、869年に廃棄され、ウアクサクトゥンも889年に空城となりました。

地球から姿を消したマヤ人にまつわる謎は現在も討論されていますが、確固たる証拠は何一つなく、未だ解明されていません。

遷移したという説もあれば、宇宙に引っ越した、あるいは地中に潜ったなどという説もありますが、どれも証明されておらず、他にも戦争や疫病、隕石の落下、大洪水など様々な原因により滅亡したという人もいます。

マヤ文明の他にも、歴史上、高度な文明を誇りながら、こつ然と姿を消した都市、文明はいくつかあります。

例えば、有名なインドのモヘンジョ・ダロもそうで、その都市遺跡は、道路が直角に交差し、碁盤の目のように張り巡らされ、水道、汚水の排水システム、個人用の浴室、公衆浴場などを有し、この事はモヘンジョ・ダロが緻密な都市計画と高度な測量技術に基づいて建設されたことを示唆し、このような社会インフラは、19世紀のパリやロンドンさえもをも凌ぐものであったとも言われています。

このような高度な文明を残したモヘンジョ・ダロも紀元前2000年を期に忽然と姿を消すように、歴史の舞台から消え、マヤ文明と同様、原因は不明のままです。

「盛者必衰の理をあらわす」と日本の平家物語の一節にもありますが、どの時代も、どの文明も、どの王朝や国家も、少しずつ成長していき、最盛期を迎えた後、衰え始め、そして、破滅するという自然の理にかなっているのです。

(つづく)
 

――正見ネットより転載・編集
(作者・意文/翻訳編集・天野秀)