すべての正の整数を無限に足した値、つまり1+2+3+4+5+…の値は何でしょうか? 数学では、無限大になると、物理学が量子力学の領域に入るのと同じように、常識的に考えることができなくなります。1+2+3+…と無限まで足すと値はなんと-1/12になるのです。
これを公式を用いて証明した方が、今回の話の主人公、未来からタイムスリップしてきたと言われている天才数学学者のシュリニヴァーサ・ラマヌジャンです。
ラマヌジャンは短い生涯に4000近い公式や命題を残しましたが、証明の過程を残さなかったので誰も理解できませんでした。
では、なぜラマヌジャンがタイムスリップしてきたと言われているのでしょうか。 なぜなら、現代の科学者が彼の謎の数式を研究したところ、素粒子物理学、統計力学、コンピュータ科学、暗号技術、宇宙技術など多様な分野に及ぶいくつもの定理を書いていたことが判明したからです。
短い一生、多大な功績
孟子の言葉、「天が大任を任せるような人は、まず心を苦しめ、筋肉と骨を鍛え、心身を飢えさせ、体を空にしなければならない」のように、ラマヌジャンは成功を収めるまで、かなり長い間生計に苦しみ、貧しい暮らしを送っていました。
友人たちの助けにより、安月給でありながらも、何とか生計を立てるようになり、その後、彼は権威ある『インド数学協会誌』に論文をいくつか発表し、次第にインド数学界にその名を知られるようになりました。
1913年のある冬の日、ケンブリッジのトリニティ・カレッジで数学の教授をしていたG.H.ハーディのもとに1通の手紙が届きました。それは代数学、三角関数、微積分学の数学用語で書かれた10ページにも及ぶ報告書のようなものでした。
手紙を読み終えたハーディは興奮しながら、差出人であるラマヌジャンに招待状を送り、彼のために多額の奨学金を申請したのです。
渡英後、ラマヌジャンはハーディやリトルウッドらの協力を得て、数学の基礎と正規の数学研究方法を学び、5年間のヨーロッパ滞在中に英仏独の数学雑誌に21の論文を発表しました。
1918年、ラマヌジャンは英国数学界最高の栄誉である王立学会の会員に選出され、史上最年少の会員となりました。
ハーディはよくラマヌジャンの数式を褒め、「どうやって書いたんだ?」と聞きます。ラマヌジャンはいつも、「神様が夢で見せてくれたのだ」と簡単に答えました。 ラマヌジャンが言うには、睡眠中、思考がクリアになり、膨大な量の情報を受け取ることができるそうです。
最初、無神論者のハーディはこのことを冗談だと思いました。しかし、ラマヌジャンが何度も、目覚めた後に、解決できなかった難題の答えを出していたので、徐々に信じるようになったのです。
ラマヌジャンは数学の研究に没頭するあまり、食事や休息を忘れることが多く、身体にかなり大きなダメージを負いました。そして、1917年、ついに結核であることが判明しました。
長い闘病生活の後、ラマヌジャンは故郷を懐かしんで、1919年にインドに戻りましたが、病気は治らず、翌年4月に33歳の若さで亡くなりました。貧乏暮らしをしていたラマヌジャンは、死後、写真2枚、湯たんぽ1個、本と原稿数枚だけを残しました。
ラマヌジャンは病床で、数式を書いた4冊目のノートを残しましたが、死後50年以上も所在不明だったため、「失われたノート」と呼ばれています。
1976年、ペンシルベニア大学のG.アンドリュース(G. Andrews)教授がケンブリッジのトリニティ・カレッジを訪れた際、同大学の図書館でこのノートを見つけました。そこには、プロセスを証明できない600以上の公式が記されていました。
現代の科学者の研究により、これらの写本には膨大な未解決の謎が隠されていることが分かり、中のいくつかの公式は、多くの最先端科学の分野で重要な役割を果たし、中にはブラックホールの秘密さえも隠されていたのです。
ラマヌジャンは生涯を通じて、自分の数学的なインスピレーションは神から与えられたものだと信じていました。なぜ彼がこれほど優れた業績を挙げたのかを説明するには、もはやそれしかないかもしれません。
詳しくはEPOCH TVをご覧ください。
https://www.epochtimes.jp/2022/08/114974.html
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