モンゴル草原の女王:アラカイ・ベキ(下)

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国家を管理し、政を行う王女

娘が逃亡していることを知ったテムジンは、直ちにオングト部の内乱を鎮圧し、再び愛娘をオングト部に送り返しました。再び戻ってきたアラカイ・ベキは強い意志を持ち、決然とした一人前の指導者へと成長したのです。

地理的な位置により、オングト部は中原とモンゴル草原をつなぐ架け橋となり、遊牧民が必要としている食糧や茶葉、シルクなどの物品はオングト部を通じて草原まで運輸しなければならないため、遊牧民族の繁栄に連れて、オングト部も徐々に盛んになりました。これには、アラカイの功績は欠かせません。

アラカイがオングト部に戻った時、ちょうど、テムジンがチンギス・カンとして即位する頃で、亡くなったアラクシの忠誠心を嘉して高唐王に、その妻アリクを高唐王妃とし、また、ボヨカはまだ幼かったためにセングンを北平王として厚遇しました。

アラカイの存在価値はオングト部だけでなく、モンゴル草原全体にとっても計り知れないものです。

西征の前、チンギス・カンはアラカイに「監国王女」の称号を与えました。監国とは、天子が地方を巡幸したり、軍を率いて自ら戦争に赴いたりなど、都を留守にしている時に、国政を代行することで、一般的には、その後継者に任されます。

広大な帝国を運営するのに、強固たる意志はもちろん、鋭敏な決断や政務を執る能力も要求されます。『元史』には、智略に長けたアラカイは、チンギス・カンが征戦している間、国家を管理し、軍隊が必要とする給養を確保し、いかなることも、彼女の意向を伺ってから執行されたとの内容が記されています。チンギス・カンが戦況に専念し、憂いなく領土を拡大させたのは、アラカイのお蔭と言っても過言ではありません。

民に献身する王女

アラカイの2番目の夫が亡くなった後、オングト部の将来のため、仕方なく結構年下のボヨカに嫁ぎました。2人の間に子はいなく、アラカイは若くて育ちの良い女性を選んでボヨカの妾(めかけ)にし、彼女たちが産んだ子たちを自分の子のように愛し、育てました。

国においても、家庭においても、アラカイは始終個人の損得に拘ったことがなく、その父チンギス・カンと同じように、寛大な心ですべてを受け入れ、モンゴル帝国のために生涯を奉献したのです。アラカイ・ベキ、史書にあまり記されていないこのモンゴル帝国の王女は、判明したわずかな出来事だけでも、その名を輝かせ続けているのです。

(完)

 

(翻訳編集:華山律)

蘭音