漢字の神奇と奥妙な生命

中国人が文書を敬愛することは天性となっています。普段から使った紙は、敬意を持って「敬紙亭」(場所の名前)で焼かなければならず、幼い頃から、父母に紙を踏みつけたり,その上に座ったりすることは神聖な文字を深く侮辱することだと言い聞かされてきました。

漢字は生命体である

漢字はその源の演変と生命形態を持っており、勝手に変えてはいけません。甲骨文、金文、隷書から楷書に至るまで中国の文字は長い歴史を経過して、書き易く、読み易い文字となりました。

例えば「馬」という字は最初、象形文字を用いていたため、書く度に「馬」の様子を絵として書かなければいけないという欠点がありました。そこで古人は出来るだけ文字に意味をこめようとし、千年経過する間にそれを簡略化し、やがて今の文字の形が定まりました。これは一つの生命を持つ個体のようであり、歴代の文化の精華を汲み取り、演変し、そして広く世界に定着して伝わったのです。

象形文字は、時代と共に変ってしまう表音文字とは違います。漢字は天から下されたものであり、千年も万年もその意味は保たれているのです。かつて歴史の舞台で異彩を放った文字たちは、今となっては博物館に飾られ、後人は弔うことしかできません。漢字のみが、三千年の風雨に耐え、今もその雄姿を誇り世界に広まっています。

漢字は神が伝えた文字

中国人には多かれ少なかれ、「高みはただ読書に有り」という伝統的な情緒があります。こういった文化に対する深厚な崇敬は古代から根付いたものです。
プロメテウスが天上から人間に火を与えたというギリシア神話があるように、中国古代には、「倉頡(そうけつ)が文字を作ったとき、天は栗を降らせ、鬼は夜に泣いた」という伝説があります。

倉頡とは、天上から人間に文字をもたらした人物だと伝えられています。この伝説によれば、倉頡は黄帝の史官で、四つの目をもち、異なる次元が見え、物事が持つ、より深い意味を読み取ることができると言われていました。 倉頡が人間に文字をもたらしたとき、天上は喜悦して福を賜い、小米が降下しました。

悪の妖魔は人類が文字と智慧を持てば、もはや人類を愚弄し操ることができなくなるので、恨み悲しみ連夜泣いたといいます。文字が聖智をもたらしたので、妖魔を恐れさせたのです。

これらの神話から離れて考えてみても、漢字には確かに深奥神奇な内涵があります。例えば「人」という文字について言うと「楷書」の「人」と三千年前の甲骨文にある「人」は簡単な二画で何の変りもありません。しいて言えば甲骨文の形はより人の姿に似ているように見えるぐらいです。両手を胸の前にたれ腰を屈めています。これは中国の「人生哲学」を顕しているのでしょう。

人は最も複雑で、画家が鬼を画くのは易しいが人を画くのは難しいといいます。人間は様々であり、複雑な様相を呈していますが、人生は本当にそれほど複雑になる必要があるのでしょうか?簡単な二画で描けるものこそ「人」ではないでしょうか?トラブルに遭う時、腰を曲げ頭を下げれば、どんなことでも、より簡単に解決し易くなるのではないでしょうか。簡単な二画から多くの言外の道理を悟れますが、「Human」から読み取れるものは何もありません。

博大精深かつ美妙な漢字

漢字は現存する唯一の表意文字です。その一画、一画に豊富で博大な情報があり、その字が作られた当時の社会の発展状況、経済活動、文化などがその文字の形・意味に溶け込んでいます。研究者が「一つ一つの漢字はそれぞれ一つの博物館」と感嘆するのも分かります。

漢字は中華文化の掛け橋であり、精美な芸術作品となっています。この貴重な文化の宝蔵を共に分かち合い、漢字の美妙さを理解するのです。漢字に近づき、その内包する深い意味を知れば知るほど、驚嘆せずにはいられません。