文化大革命の最中、中国を訪れたアメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーに、毛沢東が「私は『和尚打傘』だ」と語りました。これを、同行の通訳が文字通り「傘をさす和尚」と訳したことから、いつの間にか「破れ傘を手に雨の中を一人行く孤高の僧侶」ということになり、毛沢東は崇高な人物として全世界に伝えられました。
この『和尚打傘』、実は、「おれ様のやりたいようにやるだけさ」という意味で、当時権力の絶頂にあった毛沢東の独裁的で横柄な態度がよく表れたことばだったのです。
「和尚」だから「髪の毛がない」=『無髪』。『髪』の発音が『法』に通じることから、『無髪』→『無法(法がない)』。傘をさせば、空(天)が見えないことから、『無天(神がいない)』。つまり、「毛沢東」と掛けて「傘をさす和尚」と解く。その心は『無法無天(法もなければ神もいない→やりたい放題だ)』ということです。
このような掛け言葉を、中国語では『歇後語』と言います。『歇』とは「休む」ということで、普通は、後ろに続くはずの「その心は…」に当たる部分を言いません。中国人ならそれで分かるのですが、同行の通訳者には、「和尚」の「心」が読み取れなかったようです。
こんな『歇後語』もあります。『肉包子打狗(肉まんを犬に投げつける)→有去無回(行ったきり帰ってこない)』、『兎子尾巴(うさぎのしっぽ)→長不了(長くない/長続きしない)』。いずれも普通は、前半だけ言って済ませます。
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