盂蘭盆節「目連が母を救う」物語の本当の意味を伝える

お中元・お盆の歴史と伝統――感謝の心と歴史に隠された物語

世界に名を馳せる盆踊り
歴史がもたらした偶然の産物

日本では、毎年7月中旬から8月にかけて、各地で盛大な盆踊りが行われます。この時期はお中元のシーズンでもありますが、この盆踊りには特別な意味があります。それは、仏教の「目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う」という物語に由来します。この物語は、親孝行や仏教の教え、そして人々を救うという慈悲深い心を表現しています。

毎年この時期になると、この物語を思い起こします。これが伝統的な祭りの最も重要な意味であり、人々に善行を勧め、神仏を敬う心を伝えるのです。神仏は人々を見守り、困難から救ってくれますが、そのためには人々は徳を重んじ、善行を行い、神仏を敬うことが必要です。そうすることで初めて救済と幸福を得ることができ、災難から遠ざかることができるのです。さもなければ、自ら悪果を招くことになります。

ですから、目連尊者はただ神通力だけで地獄に堕ちた母を救うことはできませんでした。これが「目連が母を救う」物語の核心的な意味であり、この祭りが存在すること自体が歴史の精巧な計らいなのです。その意味は非常に深いものです。

では、ここで尊者が母を救った物語を振り返り、日本のお中元の歴史的な変遷を一緒に見ていきましょう。

 

「目連尊者が地獄に落ちた母を救う」物語

目連尊者、別名目犍連(もっけんれん)は、お釈迦様の十大弟子の一人で、神通力第一とも称され、『西遊記』の孫悟空の能力も彼の前では子供の遊びに過ぎないと言われています。彼はお釈迦様に従って修行する前から親孝行な息子であり、神通力を得た後、天眼(肉眼では見えない事でも自在に見とおせる、神通力のある目)を使って母親が地獄で苦しんでいるのを見て、自分の力で母を救おうとしましたが、うまくいきませんでした。

香港の大仏様(Hanna Summer / shutterstock)

 

餓鬼道に堕ちた母

この話は『仏説盂蘭盆経』に記されています。盂蘭盆(うらぼん)とは、「逆さまに吊るされているような苦しみを救う」という意味です。人が死んだ後、地獄の餓鬼道に堕ちてひどい苦しみを受ける様子を表しています。目犍連の母親は生前、食べ物を無駄にし、自分勝手で欲深く、家畜を虐待し、人に冷たく接し、怒りやすく邪悪な心を持っていました。最も重大なのは、仏法を誹謗し、お釈迦様や修行者に対して無礼であったことです。そのため、死後に餓鬼道に堕ちました。

目犍連は天眼を使って、母親が餓鬼道で苦しみ、生前の罪を償っているのを見ました。母親は飲み食いができず、骨と皮ばかりの姿でした。親孝行な目犍連は、母親が苦しんでいるのを見て、神通力で一鉢の食べ物を送りました。しかし、食べ物が母親の口に届くと赤い炭に変わってしまい、どうしても食べることができませんでした。食べ物が地面に落ちると再び元の食べ物に戻ります。母親を救おうと必死でしたが、目犍連にはどうすることもできず、とても悲しみました。自分には強力な神通力があるのに、罪深い母親を救うことはできません。

 

お釈迦様に助けを求める

目犍連は、母親を地獄から救い出す方法をお釈迦様に尋ねに行きました。お釈迦様は、目犍連の母親の罪は深く、一人の力では救えないと告げました。救うには多くの僧侶たちの力が必要であり、そのための適切な時期として、旧暦の7月15日を教えました。

7月15日は、古代インドで出家僧が春からにかけて行う3か月間の修行期間の終了日です。この日、僧侶たちは一堂に会して懺悔(ざんげ)し、善行を積み、悟りを深めます。お釈迦様は、目犍連にこの日に5種類の果物、百種類の美味しい料理、衣類や日用品を用意して盆に盛り、多くの僧侶に供養するように指示しました。これによって、僧侶たちの善願と祝福の力が母親を救う助けになると告げました。

目犍連は、お釈迦様の教えに従い、7月15日に供物を用意して僧侶たちに供養しました。お釈迦様の善い教えのもと、目犍連の善意と孝行が僧侶たちの善の力と結びつき、ついに母親を餓鬼道から救い出し、苦しみから解放することができたのです。

(HSTUDIO99 / shutterstock)

 

善悪には報いがある

この物語は、善行と悪行には必ず報いがあることを教えています。自分で犯した罪は自分で償わなければなりません。たとえ目犍連のように特別な力を持つ人でも、代償を払わずに親を救うことはできないのです。罪を犯した者は自分で苦しみを受け、心を改めて善行を積むことで、初めて苦しみから解放されるのです。

「一人が悟りを開けば、家族も天に昇る」と昔から言われていますが、なぜ目犍連は悟りを開いたのに、母親は救われなかったのでしょうか? 少なくとも、親には福がもたらされるはずでは?

その理由は、彼の母親が神仏を敬わず、修行者に対して非常に無礼であったからです。そのため、目犍連一人の力では母親の罪を償うことはできませんでした。彼は母親に代わって、多くの僧侶に供養をし、神仏と僧侶に対して深い敬意を示し、生前の罪を償いました。そして、多くの僧侶の祝福と許しを得て、ようやく母親を救うことができたのです。これは、目犍連が高僧として成就したことで、お釈迦様が特別に与えた機会でもあります。まさに、一人が悟りを開けば家族も恩恵を受けるということの一例です。無償で罪を消し去り救われることはあり得ません。

この物語から生まれた仏教の祭り「お盆」は、中国に伝わり、さらに唐代に日本に伝わりました。この祭りの目的は、人々に善行と悪行の報いが厳格であることを知らせることです。人々は善行を行い、悪行を避け、真心から懺悔(ざんげ)をし、神仏や仏法、修行者を敬うことで、神仏のご加護を得ることができるのです。

これは、法輪功(佛法)の弟子たちが世界中に、中国共産党による迫害とその真相を伝え、人々に中国共産党のうそにだまされないように呼びかけている理由でもあります。もしも邪悪な党のうそを信じて法輪功やその弟子たちを誹謗中傷するならば、深刻な罪を犯すことになり、どうやって解脱(煩悩や束縛から解かれ、輪廻などの苦を脱して自由の境地に到達すること)できるでしょうか? これは非常に恐ろしいことです。

伝統的な祭りの価値と意味は、このように人々に善行を忘れず、神仏を敬うことを教えることにあります。これは神仏の慈悲深い教えなのです。

 

お中元の起源は道教にあり

お中元の名称は、中国古代の「中元節」に由来し、道教の三元節の1つです。道教では1年を3つの元に分けており、それぞれ上元(1月15日、元宵節)、中元(7月15日)、下元(10月15日)と呼ばれます。これらはすべて旧暦の伝統的な節日です。それぞれの節日は、道教の天官、地官、水官の三位の神に関連しています。中元節は地官が霊の罪を赦す日とされ、中国では祖先や霊を祭る日として知られています。この日には、人々が祖先を祭り、紙銭を焼き、精霊を流して霊を迎え、孝行と追悼の意を表します。

中元節は奈良時代(710-794)に日本に伝わりました。この時期、祖先を祭り、福を祈る祭りとして、日本の宮廷や貴族の間で広まりました。平安時代(794-1185)になると、中元節は徐々に民間にも広がり、仏教の盂蘭盆節と結びつきました。この祭りの中心は祖先や霊を祭り、彼らの安息を祈ることです。そして、盂蘭盆節の日付は道教の中元節と一致しており、これは偶然ではなく、歴史の精巧な計らいを感じさせます。

お盆の精霊流し(chuck hsu / shutterstock)

 

室町時代に形成された盆踊り

室町時代に武士階級が台頭すると、中元節は次第に全国民の祭りとなりました。この日にはさまざまな祭りの活動が行われ、紙銭を焼いたり、食べ物や花を供えたり、精霊を流したりします。この時期に盆踊りが形成され、全国で広まりました。盆踊りは、日本の独特な風習となり、今でも続いています。

 

江戸時代に人々の交流と感謝の意が加わる

江戸時代は日本の文化が最も栄えた時期であり、中元節の祝い方も商業の発展に伴ってさらに多様になりました。商人たちの感謝の気持ちを表す交流が、中元の祖先を祭った後に親しい友人や家族と供物を分け合う習慣と結びつきました。

これにより、お中元は祖先を祭るだけでなく、家族や社会の交流の重要な時期となりました。この日に人々は親戚や友人に贈り物をし、日頃の感謝の気持ちや暑さ見舞いの挨拶を伝えます。この習慣は「中元礼」と呼ばれます。お中元の贈り物は親友だけでなく、先生や上司などにも送られ、日本社会の感謝と礼儀を重んじる特徴を表しています。

この習慣は現代にも続いており、人々は今でもお中元の贈り物を大切にしています。お中元の前にはさまざまなギフトセットが販売され、食品や飲料、生活用品など多岐にわたります。多くの人々が前もってギフトを購入し、親友や同僚、上司に感謝の気持ちを伝えるのです。

お中元の時期には、親戚や友人に贈り物をし、日頃の感謝の気持ちや暑さ見舞いの挨拶を伝える(west_photo / shutterstock)

 

結論

お祭りを祝う際には、歴史が伝えてきた伝統的な価値観と目的を忘れずに守り続けていきたいものです。それは、人々に善行を勧め、神仏を敬うことを教え、人類の道徳の堕落を防ぐことです。これが神から伝えられた文化の最も大きな意味であり、お祭りを祝うことの最大の意義でもあります。

 

(翻訳編集 華山律)

劉如
文化面担当の編集者。大学で中国語文学を専攻し、『四書五経』や『資治通鑑』等の歴史書を熟読する。現代社会において失われつつある古典文学の教養を復興させ、道徳に基づく教育の大切さを広く伝えることをライフワークとしている。