時間に追われない生き方 スローライフが教える人生の本質(下)

なぜ私たちはスピード効率に執着するのか?

ウェブサイト「Pretty Slow」によれば、スローライフはかつては広く行われていたものでした。何世紀にもわたり、人々は自然にゆっくりとしたペースの生活を送っていました。限られた技術の中で、現在私たちが達成しているようなスピードは彼らには不可能だったのです。一方では、彼らは厳しい環境でより厳しい生活を送っていましたが、他方では、農業の季節のリズムに従った生活を送り、ソーシャルメディアやテレビのような高速で絶え間ない情報の嵐に悩まされることもなく、多くの作業には時間がかかり、より深い集中が必要でした。おそらく得られる楽しみが少なかったため、ささやかな楽しみを味わっていました。

今日、私たちの生活は急速に進み、目まぐるしいペースに圧倒され一体何が私たちの時間を食い尽くしているのかと不思議に思います。何が変わったのでしょうか? この質問に完全に答えるには、おそらく多くの文献を調べることが必要でしょう。しかし、いくつかの観察はできます。

おそらく、その理由の一つに、私たちの注意力がますます散漫になっていることがあります。心理学者グロリア・マーク博士の研究によれば、人々の注意持続時間は、2004年の平均2.5分から2012年には75秒、そして最近では47秒にまで低下しています。マーク博士はまた、注意力が低下し、マルチタスク(複数の作業を同時並行)が一般的になるにつれて、ストレスレベルが急上昇することも指摘しています。

私たちは常に生産的であることを求められ、金銭的または実用的な意味での成果を上げるためにマルチタスクに走りますが、それが最終的にはストレスを増加させるのです。しかし、「Slow Living LDNでは、忙しいことが成功や重要性に等しいという考え方を否定します。それは、今この瞬間を大切に、質を量よりも重視し、意図を持って生きること、意識的で考え深い生き方をすることです」

現代文明の多くは、スピードと効率が常に良いことであると、検証されていない仮定に基づいています。この工業的で技術崇拝的な考え方が、私たちの経済とライフスタイルの仕組みの多くを支えています。私たちは常に高速コンピュータを製造し、情報をより速く収集し(AIなど)、ファストフードのドライブスルーをより速く通過し、次の用事や課外活動に向かいます。

この考え方はどこから来るのでしょうか? 私は、広く浸透している唯物論がその起源の 1 つではないかと考えています。精神的な側面を否定する文化は、常に物事を量、つまり測定可能な物質的側面で評価しがちです。「○○ドルを稼いだ」「〇〇の仕事を達成した」といった具合に、物事を定量化できます。しかし、精神的な成長、人間関係の深化、現実の理解を深めることは、測定がはるかに難しいです。明確な物質的成果がないため、科学的、唯物論的な考え方ではそれを重視しないのです。

家族で山登り(shutterstock)

 

オノーレ氏は、スピードへの依存症は、西洋的な時間の見方から来ているかもしれないと考えています。西洋では時間を限られた資源として線形的に捉え、徐々に消え去っていくものとして見ています。これに対し、時間を周期的なものとして、豊かさにあふれた穏やかなパターンとして捉える文化もあります。私は、彼の意見は的を射ていると思いますが、西洋においても、時間との関係が数世紀にわたって進化してきた点は指摘に値します。例えば、中世の作家ダンテは、時間を永遠の反映として見ており、典礼年の絶え間ない周期は、死後の世界の果てしない歳月を反映していると考えていました。

もし人の目が永遠に向けられていれば、死がすべての終わりであるかのように慌ただしく行動するよりも、充実した人生を送ることに関心を持つでしょう。実際、私たちの死に対する態度が、時間に対する態度を決めるかもしれません。

オノーレ氏はスローライフの価値に関するTEDトークで、この問題の哲学的、精神的、心理的側面についても考察しています。

「スピードは、自分自身をより大きく深い問題から隔離する方法になります。私たちは、気を散らすことや忙しさで頭をいっぱいにしてしまい、『自分は元気なのか? 幸せなのか? 子供は正しく成長しているのか? 政治家は私たちに代わって良い決断を下しているのか?』といった問いを自問せずに済むようにしているのです」

実際に、スピードを落とすことは難しいということです。高速なライフスタイルが体や心、魂をむしばむかもしれないと感じながらも、私たちはそれが楽なのでそれに固執します。静寂な空間、静けさは、その瞬間の実用性を超えた事柄、過去の経験や未来の夢、あるいは宇宙の本質について考える余地を与えてくれます。しかし、多くの人々は、たとえそれがより充実した人間らしい生き方につながるとしても、その現実に向き合うことを避けがちです。

哲学者のアリストテレスは「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」と述べました。忙しさは、互いを知ること、真実を知ること、重要な疑問について考えること、そして最終的に人生の意味を見つけることという、高く挑戦的でありながらも、やりがいのある使命から私たちを遠ざけてしまうことがあります。

おわり

(翻訳編集 清川茜)

英語文学と言語学の修士号を取得。ウィスコンシン州の私立アカデミーで文学を教えており、「The Hemingway Review」「Intellectual Takeout」および自身のサブスタックである「TheHazelnut」に執筆記事を掲載。小説『Hologram』『Song of Spheres』を出版。