ヘルス・ビューポイント
「ハーバード医学部の学生、卵720個を食べる」——この見出しは、世界中で注目を集め、大きな話題となりました。
この卵に関するニュースは、Google検索で5ページにもわたり、多くのメディアプラットフォームで数千万回もの閲覧や視聴を記録しました。一見すると、軽薄で面白おかしい話題を狙ったクリックベイトのようにも思えるかもしれません。しかし、実際にはそれ以上の意義が込められています。
私自身のバイラル(人から人へ情報がウイルスのように広まる)な「エッグスペリメント(実験)」に戻る前に、この広報活動の「なぜ」に注目してみたいと思います。その根源は、5年前のある出来事、そして海を越えた場所に遡ります。
第1章 N=1サイエンスの起源
私が最初の「患者」と出会ったのは、医学生になるずっと前のことでした。彼女をここではBと呼ぶことにします。
Bは、中年のフランス人女性で、私が博士号取得のためオックスフォード(イギリス)で研究していた頃に出会いました。彼女は温かい笑顔と強いアクセントで話し、抱きしめたくなるようなオーラを纏った魅力的な人でした。
しかし、Bは若年性パーキンソン病に苦しんでいました。手足の震えや歩行困難といった症状に加え、彼女の場合は深刻なうつ病にも悩まされていました。その上、炎症を伴う関節痛や肥満にも苦しんでおり、それはおそらく大量の薬の服用や、病気がもたらす身体的制約の結果だったのでしょう。それでもBは、誰もが心を動かされるような人柄の持ち主でした。
Bとの出会いは、私がオックスフォードで博士課程の研究の一環として主導していた臨床試験の参加者としてでした。試験が終了した後、彼女は体重を減らしたいと私に食事のサポートを依頼してきました。病気の間に増えてしまった体重を何とかしたいというのです。私はその依頼を引き受け、新しい友人を助ける機会に飛びつきました。
とはいえ、実際には「飛びついた」というより「押し進めた」といったほうが正確かもしれません。当時、彼女は歩行が困難だったため、私は彼女をショッピングカートに乗せ、テスコ(Magdalen St.の市場)の店内を案内しました。彼女は棚から商品を選び、質問し、会計に到達するころには慎重に選ばれた食料品の海に囲まれていました。
その後の数か月間、私たちは頻繁に連絡を取り合いました。彼女は食事の写真を送ってくれたり、体調について感想を述べたり、私にフィードバックを求めたりしました。
私たちは試行錯誤を続け、ついに彼女は大きな進歩を遂げました。
2019年11月、彼女から送られてきたテキストを、私は今でも鮮明に覚えています。
「今日は右の股関節にほとんど痛みを感じなかったし、子供たちと少しダンスを始めたの! ポール(夫)がロンドンから帰ってきたとき、キッチンで古いロックソングに合わせて踊ってたら、彼は信じられないって顔してたわ! 私も正直信じられない!」
Bはかつて素晴らしいダンサーでした。この活動を彼女はとても大切にしており、二度と踊ることはできないと思っていたそうです。彼女が再び愛する家族と一緒にダンスを楽しめたと知ったときの私の喜びは、言葉では言い尽くせません。
Bとの経験は、その後の類似した経験に支えられながら、「N=1(自分自身が唯一の被験者)サイエンス」という概念の種を私の心に蒔くこととなりました。
代謝健康という分野
博士課程の研究、COVID-19パンデミック、そして医学生としての学びを通じて、私は研究者、科学的コミュニケーター、そして代謝健康コーチとして「代謝健康」という分野に深く関わり続けてきました。その中で、内分泌や精神的健康障害、自己免疫疾患や炎症性疾患など、長年にわたり苦しんできた患者が回復する驚くべき変容の旅を数多く目にしてきました。
私の経験では、食事や生活習慣の改善がもたらすポジティブな効果は、身体的健康にとどまりません。
たとえば、私の友人デイブ・ダナ氏の例があります。彼と出会ったとき、彼の体重は400ポンド(約180キロ)を超え、精神的な問題や経済的な困難にも苦しんでいました。しかし、彼には健康を取り戻そうとする強い意志が感じられました。その意志は、社会に蔓延する誤ったアドバイスや患者を責める風潮、機能不全の社会的規範、健康に関する役に立たない決まり文句によって学習的無力感に押し込められていました。それでも、彼の中には確かな火種がありました。その火種には、ただ少しのきっかけが必要だったのです。
真の科学
Bの場合と同様に、ダナ氏も健康改善の過程で自らの健康に対する好奇心を持ち続けていました。彼は、自分が行った介入や生活習慣の変更が、主観的および客観的な指標でどのように健康に影響を与えたかを振り返り、質問をしながら、自らのアプローチを繰り返し改良していきました。
少し考えてみてください。このプロセスこそが「科学」です! 真の科学であり、本物の科学です。自分自身を対象に仮説を立て、それを検証し、その結果を判断ではなく好奇心をもって評価する。その過程から得られる価値ある洞察、すなわち「データ」と呼べるものが、科学そのものなのです。
その後、ダナ氏は私の体重を上回るほどの減量を達成しました(正確な数字は伏せますが、要点は伝わるでしょう)。この身体的変化に加えて、彼の精神的、経済的、そして社会的な健康も大きく改善しました。彼はMBAを修了し、生涯の伴侶と結婚しました。そして、最も象徴的だったのは、私が彼のコーチを「解雇」されたことでした。彼がジムで、より経験豊富なパートナーを見つけたからです。
Bやダナ氏、そして私のキャリア初期に出会った何百人もの人々や患者たちから、私は計り知れないほど多くのことを学びました。ありふれた表現かもしれませんが、教室や研究室を超えて得た学びは、それ以上に価値あるものでした。
その中でも特に心に残った教訓が、「N=1サイエンス」の持つ力です。
第2章 N=1サイエンスとは何か?
N=1サイエンスとは、科学的方法を自分自身の生活に応用する力が誰にでもある、という哲学を指します。そのプロセスは以下のように進みます。
・改善したい健康の要素を特定する
・どの介入がその結果に影響を与えるか仮説を立てる
・介入を実施する
・結果(客観的または主観的データ)を評価する
・このサイクルを繰り返し改良する
N=1サイエンスは、人々に「市民科学者」としての力を与えます。自ら実験を行い、健康の選択肢を調整して、自分自身の体に最も適した方法を見つけるのです。この科学的方法を代謝健康の旅に正しく適用すれば、長期的な成功をほぼ確実に得られるでしょう。これこそが、Bやダナ氏、そして数え切れないほどの他の成功例の秘訣でした。
では、どうして「1か月で卵720個を食べる」という話に繋がるのでしょうか?
健康ジャーナリストで看護師でもあるシェラミー・ツァイさんは、私の「エッグスペリメント」について次のように述べています。
「ノーウィッツのバイラルな卵の実験は、デジタル時代における科学の伝え方そのものでした。YouTubeなどのプラットフォームを活用し、日常的な自己実験を多くの人々に共感を呼ぶ魅力的な物語へと変えました。彼のアプローチは、科学を魅力的で身近な形で提示することで、人々が自分自身の健康調査を行う動機付けになることを示している」
ツァイの指摘の通り、私は「唯一無二の食事法が存在する」と考えているわけでも、特定の食品(例えば卵)の推奨をしているわけでもありません。しかし、矛盾した健康アドバイスに困惑し、苛立つ人々が多いことを痛感しています。そのため、私は知識と方法、つまりN=1サイエンスを通じて、自分に合った最適な方法を見つける力を人々に提供することを目指しています。
自分自身や友人・同僚が行うような話題性のある「実験」は、人々の好奇心を刺激し、代謝健康という広範な分野について深く掘り下げるきっかけを作ります。
たとえば「卵720個」という実験は、科学的原理や生理学の基本をより広いオーディエンスに伝えるための入口です。これらの原理は、『Cell』や『Nature』『Science』といった学術誌でも取り上げられる内容であり、私の動画やコミュニケーションの基盤となっています。私の目標は、視聴者に代謝健康への興味を喚起し、その知識を科学的方法に基づいて自分の生活に応用するよう促すことです。
私自身の「社会実験」では、視聴者からのフィードバックやコメント、共有された多くのN=1の体験談が私にとっての「データ」です。それらをもとに、科学的コミュニケーションのアプローチを改良し、Bやダナ氏のようなN=1ストーリーをさらに広め、実践する人々を増やす方法を模索しています。
第3章 N=1サイエンスの課題
N=1サイエンスには利点が多い一方で、欠点も存在します。あらゆる薬が副作用を持ち得るように、N=1サイエンスにも意図せぬ悪影響が生じる可能性があります。
N=1サイエンスやその実験をソーシャルメディアで発信する最大の欠点は、科学を身近なものにする一方で、健康に関する複雑な情報を単純化しすぎてしまうリスクです。これは、私自身の発言による場合もありますが、多くの場合、私たちの実験が広範囲に取り上げられる際に起こる二次的な影響です。
しかし、このリスクはN=1サイエンスに特有のものではありません。科学的なコミュニケーションにおいて、一度ストーリーが広まると、元のチームはその語られ方をほとんど制御できなくなります。これは火遊びのようなもので、火は明かりをもたらす一方で、制御を失う危険性もあります。
したがって、潜在的な危害のリスクが常に存在します。この現実に向き合う必要があります。
私が考える解決策は、情報を人々から隠すことではなく、N=1サイエンスへの関心を活用して、科学と健康リテラシーを向上させる努力を倍増することです。
科学は専門家だけのものではありません。科学は全ての人が関与できるプロセスであり、関与すべきプロセスです。私たちは、人々が自分の健康を主体的に管理できるようにするため、健康リテラシーを向上させる方法を模索しなければなりません。
ただし、代謝や生理学と同じく、このテーマにもさらに深い複雑性が存在します。「全ての人が科学に関与できる」という立場を取ると、次のような課題が浮かび上がります。
- 教育の不平等
大学に通えない人は、生理学の博士号を持つ人と比べて不利になるのではないでしょうか? - 差別の影響
少数派や女性が文献に基づいてN=1実験を行おうとすると、その証拠が主に白人男性によって収集されたものである場合、白人男性より不利になるのではないでしょうか?
たとえば、体格指数(BMI)は健康的な体重範囲を定義するために最も一般的に使用されますが、その基準値は黒人女性を含む特定の少数派に不利な偏見を含んでいる場合があります。 - 社会経済的格差
経済的に恵まれない人が健康的な食事を購入できない場合、経済的に安定した人と比べて克服不可能なハンデを負うことになるのではないでしょうか?
アメリカでは、約11%の家庭が食料不安を抱えています。この状況だけで、約9人に1人が食事選択にN=1サイエンスを活用することが実質的に困難になります。
さらに、食料不安はストレス、不安、うつ病の増加と関連しており、これらはN=1のアプローチにおける追加の方法論的混乱要因と見なされるかもしれません。
ワシントン大学公衆衛生栄養センター所長のアダム・ドリューノウスキー氏は、ネイチャー・フード誌に掲載された書簡の中で、次のように指摘しています。「賃金の停滞や経済的な困難、そして時間的な余裕の欠如により、多くの人にとって、食品を選ぶ際の唯一の判断基準は『値段』になってしまっています。ある人がかつて私に『私たちが目にするのは、79セントという価格だけで、ほかの情報は目に入らない』と言った言葉が、今でも心に残っています」
食料不安は、低コストで糖分が多く栄養密度の低い食品を購入することにつながり、それが脂肪増加の要因となります。この結果、食料不安が肥満と関連付けられる「見た目の罠」が生まれます。一方で、社会は肥満を侮辱的なほど単純なカロリー中心のモデルで理解しがちです。
こうした課題に対する解決策を私は持っていませんし、N=1サイエンスがこれらの社会正義問題から完全に逃れられるとも思っていません。しかし、N=1サイエンスには従来のアプローチに比べて有利な点があります。それは、患者自身が「船長」となり、自分の人生における障害を最もよく理解し、それを乗り越えるために自分自身のN=1の航海を計画できる点です。
もちろん、助けが必要になる場合もあるでしょう。その際には支援を惜しむべきではありません。しかし、最終的に舵を取るのは患者自身です。
第4章 正当な話題作り?
科学をメディアを通じて発信する際には、その実際の影響を「情報の解剖」として振り返ることが重要です。それでは、私が過去に行った2つの公開N=1実験について、その「解剖」を行ってみましょう。
最初の実験は「オレオ対スタチン」実験です。この5か月間のクロスオーバー実験では、オレオクッキーを食べることでコレステロール値を下げる可能性を検討し、私と同僚が開発した代謝モデル「Lipid Energy Model」を実演しました。
この実験の目的は、このモデルの認知度を高めることでした。その目的は達成しましたが、当初は臨床診療に直接影響を与えるつもりはありませんでした。
しかし、研究を公開して数週間以内に、プライマリケア医、心臓病専門医、脂質学者から次々とメールが届くようになりました。彼らは、このモデルに関する広範な文献を知るきっかけとなり、その原則を利用して患者を治療したところ、驚くべき効果が得られたと報告してきたのです。その一例が、3月に届いた心臓病専門医からのメールです。
「ノーウィッツ博士、あなたの研究に感謝します。オレオの論文を読んで大笑いした後で、私のクリニックに何人かのLean Mass Hyper-Responder(やせ型高反応者)がいることに気付きました。標準治療の薬物療法を続けている1人を除いて、2人はLipid Energy Modelに基づいた炭水化物摂取量の調整を試してみることを希望し、それぞれLDL-Cが64%と79%減少する素晴らしい結果を得ました」
このような内容のメールを、臨床医や患者から何通受け取ったか、もう数え切れません。
もう一つのN=1実験は、「エッグスペリメント」です。これについては、すでにご存じかもしれません。
意図しない結果の影響
この代謝に関する実験がメディアで取り上げられたことにより、予想外の結果として、少なくとも一つの老舗メディアが代謝の健康に関する連載を開始しました。
この試みは、代謝の健康に対する人々の強い関心を浮き彫りにし、私や同僚が、食事、運動、睡眠、光などのライフスタイルが健康とウェルネスに及ぼす影響について議論を深める契機となりました。
最新の研究を紹介しながら、この重要な分野への関心をさらに高め、実際に役立つライフスタイルの変化を促進できるよう努めたいと考えています。
第5章 最後の考察
優れた科学者や医師の証は、「謙虚さ」にあると私は思います。自分が何を知っているのかを正確に理解し、その知識の限界を知ること。そして、その限界を広げるために必要な問いを立てられることです。
私は、生物学、生化学、代謝、医学を11年間学んできたことで、代謝に関する多くの知識を得ました。しかし、二つ目の博士号取得を目前に控え、真に達成したいキャリアを築くには、まだ多くの知識やスキルを身につける必要があることを痛感しています。
「代謝の健康を当たり前にする」ことが私の目標です。そして今、それを実現する最良の方法は、一人ひとりが「N = 1(自分自身が唯一の被験者)」の科学者となり、自ら主体的に行動できるよう力を与えることだと確信しています。
重要なのは、科学を刺激的でわかりやすく、心を動かす形で伝えることです。さらに、「うわっ! これすごい! 自分の体ってこんなに面白いんだ! 科学の視点で健康を考えるのは、効果的なだけじゃなく楽しい! もっと知りたい!」と、人々が心から感じられるようにすることが大切だと考えます。
また、良き科学者や医師であり続けるためには、自分のモデルのいくつかが間違っている可能性を常に自覚しなければなりません。私は間違えることもあるでしょうし、知識には常に不足があり、無意識の偏見を抱えているかもしれません。それは悪いことではなく、ただの「現実」です。自分の知識の限界に真摯に向き合い、周囲の人々—聴衆、患者、友人—の声に耳を傾けることで、その現実を乗り越えられるのだと思います。
私の「N = 1」の旅は、コミュニティの力によって支えられているのかもしれません。ぜひ、あなたも一緒に歩んでくれたら嬉しいです。
この記事で述べられている意見は著者の意見であり、必ずしもエポックタイムズの意見を反映するものではありません。エポックヘルスは、専門的な議論や友好的な討論を歓迎します。
(翻訳編集 華山律)
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