雪の結晶の美

139年前 初めて撮影された雪の結晶

雪がほとんど解けたバーモント州ジェリコでは、残雪の季節を迎えました。この地には「雪の結晶が二つとして同じものはない」という名言を残した詩人であり科学者がいました。
 
彼の名はウィルソン・ベントレーで、謙虚な農夫でした。土地が1エーカー(約1200坪)3ドルで取引された1880年、当時15歳の彼は母親からもらった顕微鏡に蛇腹付きのカメラを取り付けようとしました。顕微鏡で拡大した雪の結晶をカメラで写真に収めることが、彼にとっての夢でした。後に、写真は彼の一生の遺産となりました。
 
しかし、当時蛇腹付きのカメラは非常に高価で、100ドルもしました。ベントレー氏の大姪であるスー・リチャードソンさんは「気が狂っていなければ、こんな大金をつぎ込んでカメラを買う人は、当時のバーモント州には一人もいなかったでしょう」と述べました。
 
「100ドルあれば、優良農地を33エーカーも購入できるため、ベントレーの父親はカメラの購入に反対しました」とリチャードソンさんは、本誌エポックタイムズの取材で語りました。現在67歳のリチャードソンさんは家庭ヘルパーの仕事を定年退職し、現在はオールドレッドミル(The Historic Old Red Mill)で「ベントレーの雪の結晶」と題した写真ギャラリーを管理しています。

「どの雪の結晶も同じ形は存在しない」との言葉を生み出したベントレーに敬意を表して、美しい雪の結晶が描かれています
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)
(左)21歳の若き日のベントレー、(右)1880年代のベントレー家。
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)

 
結局、リチャードソンさんの母親が相続した遺産の提供で、ベントレーはカメラを購入できました。
 
若きベントレーは、後に写真スタジオへと変わる研究室を立ち上げました。とはいえ、その研究室は暖房もないボロ小屋でした。バーモント州の厳しい冬に慣れていた彼は、ここで深い色の布を使って雪片を収集し、その形を紙上に再現しようとしました。
 
「彼はほうきの材料となった稲の茎を使って雪片を捉え、顕微鏡のスライドに移動させました」「雪片が溶けないように息を止めて作業していました」と、リチャードソンさんは述べています。
 
「彼は約400個の雪の結晶を描きました。しかし、ある日、そのスケッチが実際に目で見たものとは大きく異なることに気づきました」と彼女は説明しました。
 
ちょうどその時、蛇腹付きカメラが到着しました。しかし、雪の結晶の画像をきれいに撮るまでの道のりはまだ長いものでした。なぜなら、顕微鏡の世界をうまく撮影する方法がまだ見つかっていなかったからです。試行錯誤の末、1885年1月15日、彼は過度に露出させない小さな針穴の装置を使って、ついに世界初の雪の結晶の写真を撮影することに成功しました。
 

(左)ベントレーの母、ファニー夫人、(右上)カメラとともに写るベントレー、(右下)ネガを彫刻するベントレー
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)

 

ベントレーが撮影した雪の結晶
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)

成功までには3年もの歳月がかかりました。専門教育すら受けなかった彼の知識は、かえって気象業界の貴重な情報源となりました。正統派に無視されていた彼は、大いに輝きを放ちました。
 
シンプルで美しい雪の結晶の写真は、彼の努力を物語っていました。
 
この前例のない写真はすぐに博物館や出版社に取り上げられ、ナショナルジオグラフィックなどの専門誌や科学雑誌にも紹介されました。教育目的で写真を購入したいという手紙が世界各国の名門大学から寄せられました。
 
「装置は古いものでしたが、冬の自然界の構成をくっきりと記録でき、一部の写真の解像度は現在の技術でも及ばなかった」とリチャードソンさんは語りました。
 

雪の結晶の独特な模様
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)
ベントレーは生涯にわたり5,381個の雪の結晶を撮影しました
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)

「奥行きなど立体感を作り出す現代写真とは異なり、彼の写真は平面的な表現を重視していました」と彼女は評価し、ベントレーを「時代を先取りしている人物」と称賛しました。
 
「5セントという安価で作品を販売していました」と彼女は説明しました。「彼は決して販売価格を引き上げず、目的は利益ではなく、この美しいものを世界の人々と共有したいという思いでした」
 
多くの先駆者や天才と同様に、地元の人々はベントレーの行動を理解しませんでした。「雪の写真を頑張って撮っても、作物やミルクの収穫量が増えるわけではない」と、曾孫(ひ孫)に皮肉を言われたこともあります。
 
しかし、生涯で撮影した5381枚の雪の結晶の写真は、多くの人々に愛されました。ティファニー社は著作権を購入し、ジュエリーデザインに活用しました。女性誌ハーパーズ・バザーも彼の作品を掲載しました。ボストン・グローブは彼のことを報道し、2023年には、ロンドン自然史博物館が長期保存目的で彼の作品を80点デジタル化しました。
 
ベントレーはバーモント大学の教授ジョージ・パーキンス氏の助言を受け、初めての科学論文を完成させました。全国から講演の依頼が殺到し、雪が大気中で形成される過程に関する彼の理論は非常に影響力がありました。また、彼はフライパンと小麦粉を使って雨滴の大きさを測定する方法も考案しました。この方法は今でも使われています。

ベントレーは雪の結晶写真を1枚わずか5セントで提供していました。その理由は、「この美しい贈り物を世界と分かち合うことが目的だったから」です(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)
ベントレーの雪の結晶写真は、『ナショナルジオグラフィック』のような雑誌や世界中の大規模な博物館にも収められました
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)

 
彼の著作からは詩の魂を感じることができます。リチャードソンさんは、ベントレーが科学研究者であると同時に詩人でもあると述べました。
 
ベントレーの死は彼の人生で最大の悲劇とも言えます。当時、シャッターチャンスを逃さないため、彼は薄着のまま山奥へ豪雪を追いかけました。無事に帰宅できたものの、体にダメージを受け、肺炎を発症し、1931年12月23日に66歳で人生の幕を閉じました。
 
「彼は親切で優しく、謙虚な農夫でした。自分が発見した美しいものを世界と共有しようとしていました」とリチャードソンさんは述べました。「亡くなってから92年経った今でも、彼が残した美しい写真は世界の人々を魅了しています」

(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)
(写真 エイミー・ベントレー・ハントコレクションより提供)

(翻訳編集 呉安誠)

カナダのカルガリーに拠点を置くライター兼編集者。主に文化、人間の興味、トレンドのニュースについて執筆。