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戦袍に込められた想い 女官の切ない恋を繋ぐ詩

唐の玄宗皇帝の開元年間(713~741年)、皇帝は宮中の女官たちに命じて、多くの綿入れの衣を仕立てさせ、国境を守る兵士たちに褒美として与えました。

ある女官は、自ら仕立てた綿入れの戦袍の中に五言詩を一首忍ばせ、密かに思いを託しました。その詩は、次のように詠じられています。

 
沙場征戍客,寒苦若為眠?
(戦場の兵士、悲惨さの中で寒苦に堪え、いかにして眠らん)

 戰袍經手作,知落阿誰邊?
(私の手で縫い上げた戰袍は、どなたのもとに至らんや)

蓄意多添線,含情更著綿。
(深き思いをこめて糸を添へ、愛情を含みて綿を厚くす)

今生已過也,願結來生緣。
(今生すでに過ぎしも、願はくは来世に縁を結ばん)

 
この詩の意味はこの様なものです。

「戦場で国境を守る兵士の皆さま、過酷な寒さと苦労の中で、よく眠れているでしょうか。

この綿入れの戦袍(せんぽう)は、私が心を込めて縫い上げたものです。

いったい誰のもとに届くのでしょうか。

針を進めるたびに、あなたへの想いを重ねながら、特別に糸を増やし、綿を多く入れました。

私は一生宮中から出ることを許されない運命ですが、

せめて来世では、あなたと夫婦の縁を結べますように」

このように、ひたむきな想いと哀しみが込められた、静かで切ない恋の詩となっています。

 その綿入れ戦袍を受け取った兵士が詩を見て、隠すことを恐れず、指揮官のもとへ持参し、指揮官は唐の玄宗に報告しました。

玄宗は詩を手にして宮廷で告げました。「これはどの待女が書いたのか? 教えてくれ、朕はお前に罪を問うことはしない」

詩を書いた女官は前に進み、頭を地面にこすりつけて言いました。

「これは召使が書いたものです。死罪に値します」

詩を書いた女官は前に進み、頭を地面にこすりつけて言いました(イメージ画像)

しかし、玄宗は微笑んで言いました。「朕はお前を宮中から出してやろう。お前たちはこの今生の縁を結びなさい」

詩を書いた女宮は感動の涙を流し、何度も玄宗に頭を下げた後、宮殿を出て、戦袍を受け取った兵士と結婚しました。

二人はお互いに深く愛し合い、百年の長い時を共に過ごしました。

(翻訳編集 陳武)

鄭重