次世代ステルス戦闘機 2度目の試験飛行=中国

 【大紀元日本4月21日】中国共産党機関紙「人民日報」傘下のメディア・環球時報や当局管轄下の香港衛星テレビ局・鳳凰衛視のネット版などの19日付け報道で、中国が研究開発中の次世代ステルス戦闘機「殲20(
2011/04/21

中国人女性、韓国領事と「不適切」関係  残る「女スパイ」疑惑

【大紀元日本3月30日】3月初めに発覚した、韓国の駐上海総領事館の複数の領事が一人の中国人女性と不適切な男女関係を持ち、この女性に国家機密を漏えいしたとされる事件について、韓国政府は25日、記者会見
2011/03/30

台陸軍少将、色仕掛けでスパイに 重大情報を中国へ漏えいか 米軍関連にも波及

【大紀元日本2月11日】台湾軍部は最近、軍部に潜伏する中国諜報員の案件を公表、台湾陸軍の羅賢哲・少将が中国の諜報員として買収されていたと明らかにした。事実であれば、台湾軍部関係者によるスパイ案件とし
2011/02/11

反政府デモを恐れ 中国当局、「色の革命」研究で布石

 【大紀元日本2月5日】エジプトなどの中東諸国で反政府デモの嵐が吹き荒れ、世界の注目の的となっている中、中国のメディアは旧正月報道一色で、エジプト情勢に関する詳細な報道が見当たらない。一方、20年前反
2011/02/05

韓国将領をスパイ罪で1年間拘禁 「度が過ぎる」と韓国が非難

【大紀元日本1月1日】中国で2009年7月にスパイ罪に掛けられ、3年の懲役刑に処された韓国軍佐官級情報将校・趙少佐が、2010年9月に韓国に送還されていたことが分かった。韓・中の外交慣例に沿って、少
2011/01/01

中国に諜報員名簿漏えい 台湾軍大佐を逮捕 中国二重スパイ複数潜伏か

【大紀元日本11月4日】中国に台湾の国家機密情報を漏えいしたとして、台湾の最高諜報機関に勤める大佐を含む二人が11月1日、台湾当局に逮捕された。 逮捕された2人は、台湾国防軍事情報局の上佐係長・羅奇
2010/11/04

おでこにシワの「人面蜘蛛」発見=中国・河北省石家庄

 【大紀元日本10月23日】眉間にシワを寄せて、ちょっと怒った人の顔に見えるクモがこの度、見つかった。12日、中国河北省石家庄在住の男性・王さんはコ沱河周辺の林を散歩した後、自分の車のボンネットに一匹
2010/10/23

亡命の中国人女医、再び新書出版 中国エイズ大規模感染の真相

「中国民間エイズ感染支援の第一人者」と称される医師・高耀潔氏(83)はこのほど、米コロンビア大学で「中国のエイズ感染の真相を明かす」と題する新書の発表会を開いた。
2010/10/22

世界を買い込む 中国大陸の観光客(三)

 【大紀元日本9月21日】秋葉原の電器街、いたる所で聞こえてくる中国語。銀座の高級店で、中国人に一掃されたため入手困難となったブランド時計。ニューヨークの5番街で、大金を惜しまず競ってブランドバッグを
2010/09/21

中国、ブラジルに熱いまなざし

 【大紀元日本9月21日】中国海洋石油(CNOOC)と中国石油化工(SINOPEC)が、ブラジルの石油資産と石油会社に70億ドル相当の取得を提案する可能性があることが15日付のブルームズバーグで明らか
2010/09/21

<写真でみる中国>いたい、こわい でも金メダルのためなら!

 【大紀元日本8月19日】英紙デイリー・メールはこのほど、中国の子供の体操選手のトレーニング写真を公開した。子供たちは4歳から厳しいトレーニングを受けているという。 スポーツで厳しく鍛えられているのは
2010/08/19

土石流犠牲者を全国追悼 人民日報、主席の満面笑みをトップに 権力闘争説も

 【大紀元日本8月17日】甘粛省舟曲県での土石流災害から1週間となった15日、中国では全国で犠牲者を追悼する活動が行われ、死者・行方不明者1700人の冥福を祈った。 各地の公的機関では半旗を揚げ、映画
2010/08/17

「一人っ子二世」 中国の未来は?

 【大紀元日本7月13日】1970年代から中国で導入された一人っ子政策(夫妻一組に対し子供を一人しか持たない)で誕生したのが「一人っ子世代」。そして2010年に入った今、30歳代となった「一人っ子世代
2010/07/13

「香港は、中国民衆の希望」=<2010年 中国はどこへ>シンポジウム

【大紀元日本12月9日】12月5日、東京・文京シビックセンターで、大紀元主催の講演会「2010年 中国はどこへ」が開催された。この講演会の発言者として来日した香港大紀元の呉雪児編集長より、香港から見
2009/12/09

全面的に悪化する中国経済、成長モデルの維持は困難

 【大紀元日本2月10日】年末から年始にかけて、中国経済は、全体として顕著に悪化している。政府が公表した数字によると、08年第4四半期における中国の経済成長率は、前年同期比で6・8%となったが、これは
2009/02/10

EUに新変化、中国人権への支持強化

 【大紀元日本12月12日】最近、EUでは「中国における人権」、「チベット」、「法輪功」などの言葉が会議ホールやオフィスでよく聞かれる。中国の人権活動家・胡佳氏へのEU人権賞授与、欧州の政治要人達のダ
2008/12/12

土屋都議、中国・人権弾圧に言及=東京都議会定例会

 【大紀元日本10月4日】東京都議会第3回定例会本会議で、民主党の土屋たかゆき都議が9月26日、一般質問に立ち、石原慎太郎東京都知事に対し、北京五輪における訪中や、東京オリンピック招致などについて提言
2008/10/04

朝鮮戦争の退役軍人たちが陳情=中国湖南省

 【大紀元日本9月9日】中国湖南省政府庁舎前で9月4日、100人以上の退役軍人たちが集まり、陳情を行った。 目撃者梁さんによると、陳情者はみな朝鮮戦争に参加した退役軍人で、70~82歳の高齢の方だ。社
2008/09/09

ユーテルサットW5衛星、アジア向け送信機に空き

 【大紀元日本8月21日】放送・通信衛星に関する情報を提供しているウェブサイト Lyngemark Satellite は13日、ユーテルサット社のW5衛星が電源サブシステムの故障後も継続してアジア向
2008/08/21

災厄の根源・中共から中国を救う

 【大紀元日本5月21日】最近、 海外で行われている中共脱党応援集会と人権聖火リレーは、中国共産党(中共)政法委書記・周永康の指示の下、多くの妨害に遭っているという。周永康は海外の工作員機関に指示し、
2008/05/21

中国M8・0大型地震、行方不明者7万人

 【大紀元日本5月13日】中国国内ではマグニチュード(M)8・0と報道された地震発生11時間後の震源地四川省汶川県では、人口10万人の内、3万人の生存を確認したが、7万人が行方不明になっ
2008/05/13

人権聖火:中国入りから1ヶ月、民衆の支持高まる

 【大紀元日本4月27日】海外の複数の団体が組織し発起した「人権聖火中国入り」は3月23日に香港で宣誓してから中国大陸入りしてわずか1ヶ月で、中国各地でリレーされ広まっている。人権聖火協調センターおよ
2008/04/27

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(23)「伝染病の流行」

伝染病の流行 しかし、この時期、全ての人にとって、さらに恐ろしい災難が降りかかろうとしていました。この頃になると、人々はすでに明らかな栄養失調になり、体力は衰弱しきっていました。加えて、着替えの服がなかったので、衣服にシラミが発生しました。そんなとき、恐ろしい伝染病が流行し始めたのです。
2008/03/27

中国産医薬品原料使用、米国で19人死亡

 【大紀元日本3月10日】米国医薬品食品局(FDA)関係者は3月5日、米バクスター・インターナショナル・インク社が取り扱っている中国製原料入りの抗凝固剤ヘパリン製品が汚染されている検査結果を発表した。
2008/03/10

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(18)「苦難の逃避行」

日が沈み、周りは暗くなり始めましたが、前方にはまだ何の建物も見えず、至るところ林でした。大隊を率いる人が、今晩早いうちに目的地にたどり着くために、道を急ぐよう、皆を励ました。
2008/02/27

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(13) 「裏切られた期待」

私たち一家6人の開拓団での生活は、とても簡素で非常に短いものでしたが、私の生涯において非常に特別な意味を持っていました。
2008/02/04

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(12) 「裏切られた期待」

開拓団にきてから、自分がだいぶ成長し、多くの事を知るようになったと感じました。そして、両親がとても大変で辛抱していることも理解でき、心から母の手伝いをしたいと思い始めました。
2008/02/01

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(11)「裏切られた期待」

私は次第にそこの生活に慣れました。入学して間もないある日のお昼、食事(昼ごはんは学校が先生と生徒のためにまとめて作ってくれる)が終わってグランドで縄跳び遊びをしていると、突然深緑色のトラックがやってきました。軍人のような若い人が何人か降りてきて、車から荷物を下ろし、総務室に運び始めました。多くの先生方も手伝っていました。
2008/01/29

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(10) 「裏切られた期待」

それからしばらく経って学校が始まり、私は毎日小道を通って山の麓にある学校に通うようになりました。 
2008/01/26

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(9)「裏切られた期待」

大人の人にとって「何とかして生きていく」ということが何を意味しているのか、8歳の私には分かりませんでしたが、私たちが中国の辺鄙な田舎に来ていることは確かでした。そして、「何とかして生きていく」という父の慰めのことばが、その後自分が一人で向き合わなければならない運命になるとは思いもしませんでした。
2008/01/24