人間の根本的な使命を追求する方法  伝統工芸を守るべき理由

イタリアのルネッサンス三大巨の一人であるブオナロッティ・ミケランジェロ(1475~1564)は、ダビド、ピエタなど美学の極致を見せた作品を誕生させたアーティストだ。彼は彫像について「すべての石の中には像があり、それを発見するのが彫刻家の使命です。私は大理石で神を見て彼を自由にしてあげようと彫刻した」と言ったと伝えられる。

ピエ。ミケランジェロ(パブリックドメイン)

 

ソクラテスは、人間の根底には「物を大切にする」能力と使命があると述べました。この使命を表す一つの方法が、木工、畜産、織物、パン作り、陶芸、製本、フライフィッシングの針作りなど伝統的な手仕事です。これらすべては、素材を使い、より完成度が高く、実用的で美しい状態に仕上げるために、ものと密接に関わることを必要とします。。私たちは、物質の中に眠っている最高のものを引き出すという意味で、物質を「大切にする」のです。それが今度は、私たちの最高のものを引き出すのです。

 

職人が技を極める

これは、他の生き物を世話し、健康に保つことで最も分かりやすく表現されます。また木材のような物質を、より美しく、意味のある状態にする可能性もあります。熟練した大工は、訓練された目と芸術家の直感、そして器用な手によって、木材の可能性を実現させます。

日本の茶道(shutterstock)

哲学教授で、自給自足生活をしているジョン・カディバック氏は次のように述べています。

「職人になることは、人生の大きな問いを捉えています。すなわち、私たちは、ある客観的現実に基づいて理性を使って物事を処理するタイプの人間であるかどうか、ということです。私たちは、美しいものを発見し、それを引き出すために物事の真実に取り組む必要性に気づきます。そうすることで、私たちが誰であるかが明らかになります。それはまた、私たちが他の人々に奉仕するようになる方法にもなります」。

カディバック氏が指摘するように、他者のニーズに応えることが、私たちが「他者の世話をする」最も重要な方法です。これは、伝統的な手仕事のもう一つの目的でもあります。大工は、人の物理的なニーズ(座る場所)と美的なニーズ(デザインと美しさ)を満たす椅子を作ります。パン職人は空腹の人の胃袋を満たし、芸術作品を生み出します。牧場主は、人々に食べ物や衣服を提供します。伝統的な手仕事は、使用される素材を完璧にして、職人自身を成長させ、そして受け取る人々を満足させます。

伝統工芸によって、いかに他者に奉仕し、素材を高めることができるかを理解するのは難しくないでしょう。しかし、その手仕事がどのようにして職人自身を成長させるかを理解するには、さらなる考察が必要です。

 

手仕事が職人を磨く

まず、伝統的な手仕事に携わることは、私たちを伝統と結びつけ、私たちのルーツと再び結びつけます。例えば、人々はギザの大ピラミッドが建設される以前から陶器を作ってきました。多くの伝統的な手仕事の基本的な性質は、素材の本質が変わらないため、何世紀、さらには何千年もの間、大きく変わっていません。

木を彫ったり、籠を編んだりする際に、私たちの祖先が使ったのとほぼ同じ道具を用いることで、彼らの経験と人間の変わらない一面に触れることができます。伝統的な手仕事は、私たち自身についての真実を明らかにします。それは、人間がその本質としての作り手であり、職人であり、発明者であり、芸術家であるということです。私たちは周囲の世界を形作っています。さらに、今日私たちが趣味として楽しんでいる手仕事は、かつては先祖の生存に不可欠なものでした。それを実践することで、彼らがどれほど苦労し、どれほど不安定な生活を送っていたかを思い起こさせます。そしてその延長線上にある私たちの生活もまた、不安定なものであることに気づかされます。私たちの生活が、よく整備されたスーパーや電気の灯りに支えられているため、その不安定さが遠く感じられるとしてもです。

手を使って作業することで、体と心が磨かれます。手仕事は私たちを現実にしっかりと根付かせ、限界を思い出させ、周囲の世界の本質を教えてくれます。

フランスの彫刻家で作家のアンリ・シャルリエ氏は、「ハンマーを振るうたびに、その打撃は物の本質に対峙し、それが実践的な面だけでなく、自然や物事の精神についての考察をも形成する」と述べています。

熟練の職人は、その仕事を通じて、単なる技術を超えた深い直感的な知識を持ち、世界の仕組みを理解しています。これは、抽象的な真理や哲学的な真理に対する考え方に、健全な形で影響を与えることさえあります。

優れた工芸品は、手先の器用さや手と目の協調を向上させてくれます。友人によれば、かつての道具の概念は、それが身体の延長であり、身体の代わりにはならないと言います。

おそらくこれが、何かを手作りすることで、深い満足感を得られる理由でしょう。手作りは私自身の延長なのです。自分で作ったフライでマスを釣り上げたときの興奮は、店で買ったルアーで釣ったときのそれを遥かに超えます。
 

効率化の裏側

手仕事から得られる満足感の一部は、その作業に伴う時間と忍耐に関わっています。手仕事は私たちに忍耐と謙虚さを教えてくれます。素材は私たちの努力に抵抗し、物が壊れることもあります。私たちは失敗し、再び始めます。実際、私たちは額に汗して、少しずつ着実な努力を重ねることでしか世界を形作ることはできません。

手仕事は「スローライフ」の芸術と密接に結びついています。ここには「近道」はありません。この作業のペースは、私たちにペースを落とし、集中し、今この瞬間を味わい、価値あるものは時間がかかるものであり、一朝一夕には成し遂げられないと思わせてくれます。

カディバック氏は、古代哲学者クセノフォンからのインスピレーションを受け、この真実をガーデニングに関連づけて次のように述べています。

クセノフォンは『土地は、人々が土地にどれだけよく仕えるかに応じて、人々に恩恵を与えるからである』と語りました。

「それはまるで、土地が私たちから良い性質を引き出すように設計されているかのようです。それが私たち自身の充実につながります。土地は忍耐強い努力と、見つめ、学び、修正し、再び始める意志を要求しています。そして、土地を大切にする姿勢を持つことを求めます。そのような姿勢には、必ず時間をかけて報いてくれるのです」

さらに、手仕事は、アイデアに形を与え、、個性的な意味と美しさを持つものを創造することで、芸術的な表現になり得ます。それは単に実用的なものではなく、明らかに人間的で、人間性を豊かにする行為です。豚はどんな種類のシェルターでもやっていけますが、人間は本性にふさわしいものが必要です。なぜなら、人間は真、美、善を認識できるため、美的な住まいが必要なのです。

大量生産された物には、手作りの品が持つ個人的な感触、意味と個性が欠けています。手作りの品の持つ不完全さこそが、工場製品にはない独自の魅力を与えることがあります。大量生産されたカヌーは、場所や時代を問わずどこでも同じですが、手で切り出されたカヌーは複製できません。それぞれの人間や文化が持つ独自の性質をよりよく反映しています。

もちろん、伝統的な趣味を推奨することは、時計の針を巻き戻したり、別の時代に生きているふりをしたりすることではありません。伝統的な手仕事が目指すことを達成するためのより速い方法があり、そのような方法が必要な場面も多くあります。伝統的な手仕事は今でも私たちに多くのものを提供しており、より効率的な方法によって完全に取って代わられることはありません。なぜなら、手仕事の本質は効率ではないからです。数え切れない世代が、人間の理性と身体の力を使って、美しく長持ちする製品を作り、その過程で得られる利益が単に実用的なものだけではないことを理解してきました。

伝統的な手仕事や伝統技術が今日の世界でどのような姿になり、どのような役割を果たすようになるのかを探ることは、非常に興味深い課題です。それらをどのように適応させ、21世紀の生活を豊かにするのでしょうか。工芸品は時間とともに発展することができますし、発展しなければなりません。最高の手仕事は常にそのルーツに忠実であると私は思います。これらについて学ぶことは、私たち自身も同じようにするための助けになるのです。

翻訳編集 清川茜

英語文学と言語学の修士号を取得。ウィスコンシン州の私立アカデミーで文学を教えており、「The Hemingway Review」「Intellectual Takeout」および自身のサブスタックである「TheHazelnut」に執筆記事を掲載。小説『Hologram』『Song of Spheres』を出版。