私は以前、ヴィーガニズムが気候変動や動物への残虐行為、さらには個人と地球の健康に対する解決策であると信じていました。ロサンゼルスで成功したヴィーガンシェフとして、私は動物製品を避けることが倫理的な生活の最も高い形だという考えに基づいて、レストランや評判、そしてライフスタイル全体を築いてきました。
私の環境への責任ある関りは、レストランから出る食品廃棄物を管理するためであり、それが自分の農場を始めるきっかけとなりました。私はセージ・ビーガン・ビストロの創設者であり、エグゼクティブシェフでしたが、最終的にはセージ・レジェネラティブ・ビストロと店名を変更しました。私は食の循環を変えたかったのです。食べ物を育て、人々に提供し、残り物を堆肥にし、健康な土壌を作ること。しかし、そのシステムに深く関わるにつれて、私が完全に信じていた物語の中に亀裂が見え始めました。
その土地に住み、自分の食べ物を育てることは、私に大きな変化をもたらしました。「倫理的な食事」という私が支持し、広めていた考えが、実際には多くの真実を欠いていることに気が付きました。アボカドを育てるために何が必要かを目の当たりにしました。木を生かすために何千匹ものリスを捕まえて殺さなければならなかったのです。また、私たちの「残虐行為のない」オーガニック肥料がどこから来たのかも学びました。血粉、骨粉、羽毛粉など、私たちがボイコットしているはずの同じ工業動物システムの副産物なのです。
誰の命も犠牲にならない食事など存在しません。この真実は本やドキュメンタリーからではなく、実際の経験から得たものです。作物を植え、収穫し、保護する中で、また毎日、土壌の中で生と死がリアルタイムで展開されるのを見て、ヴィーガニズムが何らかの形で害から切り離されているという考え、またそれが死のサイクルの外にあるという考えは崩れ始めました。
同時に、私は周りの小さな農家の人たちに惹かれる自分を見つけました。動物と共に働く人たちです。私は彼らの農場を訪れ、質問をし、徐々に、彼らの一員になっていきました。私は観察する側から参加する側へと変わっていきました。
その時私は、はっきりと理解しました。真の肥沃さは、消毒された畑や研究所で作られた投入物からは生まれません。それは動物、統合、糞、微生物、そして混沌とした生きたシステムから生じるのです。かつて効率性を称賛していた単一作物の畑は、実際には生態学的な荒地であり、虫や鳥、多様性、生命が欠けていました。何も循環せず、すべてが抽出されていました。
しかし、土地に動物を連れてくると、牛が草をはみ、鶏がつつき、豚が掘り起こし、お互いに影響しあいながら生態が形成されます。栄養素は自然に循環し、土壌は生き生きとします。それにはリズムと神聖な秩序があります。すべての部分には役割があり、一つのものの死は別のものの命を育むのです。そして、そのサイクルに参加すると、あなたは謙虚になり、学び、変わるのです。
私は動物に対する関心が薄れたからビーガニズムをやめたわけではないのです。むしろ、全体的な視点を重視するようになったからです。エコシステムについて、アーモンドミルクが店に並ぶ前に何が起こるのか、水、土、労働、廃棄物、そして「倫理的」とされるラベルがしばしば隠す長い結果の連鎖について考えるようになりました。
また、食べ物は単なる燃料や政治的なものではなく、関係性であることを理解し始めました。それは土地との親密な関係を意味します。そして、その関係は、どんな本当の関係でもそうであるように、犠牲、誠実、責任を伴うのです。
現在、私は夫と子供たちと共に、農場でフルタイムの生活を送っています。私が経営している唯一のレストランは「ザ・バーン」で、農場のすぐ近くにあります。私たちは提供する食材を自分たちで育てています。時には、ホームスクールの子供たちが卵を集めたり、豚のお世話をすることもあります。子供たちは、私の子供の頃よりもずっと生と死に密接に関わっています。彼らはそれをより深く、より現実的に理解しており、なぜなら彼らはそれを実際に体験しているからです。私の死への恐れや拒絶は、ビーガニズムが私にとって非常に魅力的に感じた根底にあったのかもしれません。しかし、死から自分を守ることは、私たちをより倫理的にするのではなく、むしろつながりを失わせ、不誠実にし、人間らしさを奪うことに気づきました。
再生は単なる農業の手法ではなく、私たちの世界観そのものを表しています。これは、私たちが選択し、影響を与え、生命のサイクルにおいて果たす役割に対して完全に責任を持つことを意味するのです。純粋さや完璧さを追求するのではなく、積極的に参加することが重要です。自分の農場や食べ物、土壌を理解し、手に土をつけ、夕食のテーブルで率直な会話を交わすことが必要です。
何よりも、謙虚さが大切です。イデオロギーから離れ、自然界との直接的な関係を築くことが必要です。
この道がすべての人に合うわけではないことは理解していますが、より多くの人々が目を覚まし始めていると信じています。誰かが私たちの牧場を訪れ、食べ物が本当はどのようなものかを理解するたびに、その変化を実感します。にんじんを掘り起こしてその場で食べる子供たちの目にその変化が見えます。また、初めて搾乳しに来て、変わって帰る人々の姿にもその変化を感じます。
私たちは、滅菌された食品システムや抽象的な倫理が、より進化し、思いやりがあり、現代的であるという物語を信じ込まされてきました。しかし、私はその逆の考えを持つようになりました。本当の進歩とは、私たちが生命のネットワークの中での役割を再び担うことを意味し、そこから自分たちを切り離そうとすることではないのです。
そして、良いニュースがあります。戻る道は私たちの足元にあります。それは、土の中に、私たちのコミュニティの中に、そして土地やお互いとの関係の中に。
本記事で述べられている見解は筆者の意見であり、必ずしもエポックタイムズの見解を反映するものではありません。
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