日本人とウイグル人

【本音を生きる】 元外科医 エンヴァー・トフティ・ブグダさん(下)

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【本音を生きる】元外科医 エンヴァー・トフティ・ブグダさん(上)

【本音を生きる】元外科医 エンヴァー・トフティ・ブグダさん(中)の続きです。

ウイグルについて教えていただけますか?

日本人はあまりウイグルには馴染みがないかと思いますが、NHKのドキュメンタリー「シルクロード」(1980年)と「新シルクロード」(2005年)で紹介されています。紀元前4世紀頃から5世紀頃、中央ユーラシアに存在した遊牧騎馬民族の匈奴帝国では、東に満州族 、中央にモンゴル族 、西にウイグル族が居住していました。かなり前のことです。

ウイグルは9世紀にキリギスに滅ぼされ、ウイグル族は東トルキスタンに移住しました。他の土地を征服するという志はウイグル人にはなく、自分たちの土地で平穏に生活していました。東に中国共産党が勃興するまでのことです。

—現在はチベットと並び、弾圧されています

中国共産党は自国民を標的に多くの政治運動を展開し、中国全体に道徳が低下した状態をもたらしました。敵がいなくなった時、ウイグルに目が向けられました。これまで長い間、裏庭に押しやられ、日の目を見なかったウイグルが、今は分離派、邪悪な勢力、国内のテロリストというレッテルを貼られています。ウイグルの人々は、世界を知る前に、中国共産党の キャンペーンの標的となってしまいました。

—日本についての印象をお聞かせください。

前回(2015年秋)は4度目の訪日でしたが、今回は友人を通じて日本の社会を探索する機会に恵まれました。

中国では「日本は帝国主義国家であり、中国全体を飲み込もうという大志を抱き、第二次世界大戦では数百万人が殺害された」と教育されてきました。しかし 、日中戦争を扱った映画を見た時、日本帝国軍より中国の連合軍の人数が多いことに気づきました。日本軍とともに中国軍が戦っていた?何かが隠されていると感じました。前回の滞在で、日本人つまり大和民族は、道理の通った民族だと心から実感しました。

無条件で人に尽くせること、相手を尊重することは、日本人だけがもっている特質ではないかと思います。今回の滞在では日本の人々からなぐさめや声援の言葉を受け、涙で胸がつまりました。

 

—ウイグル人と日本人の共通点は?

ウイグル語はトルコ語に似ています。ウイグル語も日本語もアルタイ系語族で、文の語尾が変化します。 また、黄河から北の大陸文化には鳥居のような門が共通してみられます。この門の文化はハンガリーにまで広がっています。

生活習慣の面でも共通するものがあります。臨月に入った妊婦が実家に一ヶ月戻るなど、欧米や漢民族にはない習慣です。私的なことですが、家具の少ない畳の部屋は、幼い頃の自分の家を思い出します。砂漠の遊牧民のため、家具は持たない暮らしでした。

— 昨秋、東京と広島に滞在されましたが、これらの都市はトフティさんにとってどんな場所ですか?

東京には『ウイグル文学と文化を語る国際シンポジウム』のパネリストとして招かれました。他のパネリストは、詩人、考古学者、映画脚本家などがいますが、自国の文化を振興させたことで中国政府から分離派とみなされ、自国に留まることができなくなった人たちです。

東京は表面的には世界の首都と変わりません。でも案内してもらうことで、隠された東京の美しさが浮かび上がってきました。日本文化の美しさに加え、東京の人々は、他人を気遣い、耳を傾け、自国で苦しむ人の痛みを感じ、犠牲になった人を支援しようとしてくれています。他の国ではみられない暖かさです。

ここでは、何でも発言できます。どこの出身であっても自分の声が届き、意見を提示する場所があります。これは「自国」があるという意味です。中国政権下のウイグルでは自国の文化の維持も許されません。

また、広島では『広島・長崎被曝70周年「核のない未来を!世界核被害者フォーラム」』の核実験被害部門のパネリストとして参加しました。原子爆弾の犠牲となった 広島では、 目に見える破壊だけでなく、人々は心の深手を負っています。

最も深く感銘したことは、広島の人々は原爆の犠牲者としてただ泣いているのではなく、過去を冷静に受け止め、間違った道に進んだら何が起こるのかを世界に伝えていることです。広島と長崎は人間の悲劇を示し、思考が明瞭でなく野心に動かされている世界のリーダーたちが核兵器発射のボタンを押すことを思いとどまらせます。 広島と長崎の人々が核戦争を防止してきたと言えるでしょう。

—ありがとうございました。これからもいろいろな活動、頑張ってください。

記者ノート:漢民族ではない同じ少数民族の日本が独立国として栄えていることに深く感銘し「日本から学びたい」と口癖のように語る。ウイグル人の医師として現地の核実験の被害状況を把握し、英国のドキュメンタリー制作に協力したがために、英国に移民する身となる。欧米社会に暮らすようになり、権威主義の価値観から解放されることで、一度だけ強制的に行わされた臓器狩りの罪の深さに苛まれるようになる。苦しむ人のために生き抜いてきただけにその辛さは並大抵ではないだろう。苦しみに耐えた人だけが出せる笑顔が印象的だった。

(文・鶴田ゆかり)