「天網」創始者・黄_qii_氏、5年間の地獄を語る

【大紀元日本6月19日】中国本土で著名なウェブサイト「天網」の創始者・黄_qii_氏(筆名・難博)は5年前、「天網」で民主的な言論を発表したという理由で、2000年に中国共産党に逮捕され、「国家転覆罪」の罪で5年間の禁固刑を言い渡された。今年の6月4日に刑期を終え、釈放された。

大紀元記者・辛霏は6月13日、黄_qii_氏に取材を申し込んだ。以下は黄_qii_氏の談話の内容である。

残酷な拷問で、健康状態が極めて悪化した

5年間の刑務所生活の間、日々中国警察からの残酷な拷問に耐え続けてきた。ある日、自分の冤罪を晴らすための資料を書いていたところ、警察から発見され、集団リンチを受けて意識を失った。目を覚ますと、頭から血を流し、足に錠が掛けられていた。私はこのようなリンチを数え切れないほど体験した。

出所後、病院で検査した結果、脳水腫と脳萎縮、リューマチ性心臓病と診断された。言語能力、記憶力も非常に低下した。頭にある傷は、5メートル先からでもはっきりと見える。背中には、瘡が出来ている。歯も失った。

中国共産党の野獣性、ナチス主義的な行為

2003年8月、二次審判の時のことである。裁判官が読み上げた判決文の中に、「すべての証拠を調べた結果、信憑性が証明された。従って、有罪と判断する」という部分があった。それは私にとって明らかに捏造である。私は裁判官に、いつ、どこで立証し、調査したのかを質問したところ、「法廷紀律」の執行が適用され、十数名の警察が私を集団殴打した。私は首を絞められたりもしたが、その時も「あなた達にはチャウシエスクのような結末が待っている」と必死に叫んだ。中国の警察は、まさに「ナチスのような暴徒」だと思っている。

中国共産党の祖先であるマルクスは、こんな名文句を残している。独裁主義は、必ず野獣の性質を持っており、人間性とは真っ向から対立する。野獣社会は野獣の手段でしか維持できない。

中国警察に、フランスの思想家・ボルテールの言葉を伝えたことがある。一人の人間は、もし自由の価値、寛容と同情を理解できるようになると、独裁主義国家の空気を吸うことも、忍耐し難いことになる。

16年前、中国共産党は天安門大虐殺を実行した。中国の独裁体制はいまだに、何の変化も無く存続している。多くの中国人は、とても現実的で、自分の本音を語ることを恐れている。目の当たりにした真実を、明らかにする度胸が無い。私はこの言葉が永遠に真実だと確信している。民主と自由は、勇敢なる民族の特権であり、平凡で、屈辱をひたすら我慢するばかりの民族には属さない。

共産党旗の下で行われた滑稽な入獄儀式

刑務所の中には、「囚人警察」がいた。彼らは、警察の権利を行使できる、無期懲役や死刑執行猶予の囚人だった。刑務所に入る初日、中国共産党の旗の下で、懺悔し、宣誓する儀式が行われる。「囚人警察」の仕事は、私の行動を監視し、随時警察に報告することである。こんな滑稽なことを真面目に行う国は、恐らく、世界中どこにもないであろう。

私はかたくなに宣誓を拒否した。5年間、あの旗に頭を下げたことは一度もない。私は、自分の目先の利益のために、魂を売るということを考えたことはない。最後まで、貫いていく。途中で絶対止めないのは、私の人生哲学だ。

友人の支持と信念の支えで、5年間の地獄から生還した

5年という長い歳月の間、想像を絶する過酷な環境で、生き残れることができたのは、「民主と自由の中国を実現させる」という硬い信念の支えがあったからだ。この信念が無かったら、あの環境では人間は容易に自殺してしまう。なぜなら、生きることは、死ぬことよりも遥かに困難であるからだ。また、私と同じ信念を持っている友の支持が、もうひとつの原動力だった。「自分のために生きるのではなく、彼らのために生きるのだ」と、一人の囚人に言い聞かせたことがあった。

今回のメディアの機会を利用して、私に関心を持ち、支持して下さったすべての友人たち、私の家族、そして同じ信念を持つ多くの人たちに、深く感謝の意を捧げたい。

「天網」を復活させることを誓う

5年の獄中体験で、私の信念はさらに強くなった。我々を救えるのは、自分たちしかいないのだ。アメリカのルーズベルト元大統領はかつてこう言った。功労は、闘技場で戦った勇士に送られる。今の中国は、闘技場である。民主と自由を勝ち取ることは、勇士たちの共同の志である。

近いうちに、関係部門に「天網」と「ナーハン網」の復旧申請をする。中国政府が許可するかどうかは別問題だが、私は目標を達成させるまで絶対に挫けない。同志はますます増えているし、必ず成功することを信じている。そのために、例え自分の命が奪われても構わない。

今の中国の現状を見ると、私たちの努力が足りなかったという原因もある。これからは、もっとかんばって行かなければならない。私たちの子供が、もう独裁社会に生きることのないように、すべての子孫のために、自分の責任を果たさなければならない。

後記

黄_qii_氏と「天網」についての簡単な紹介

1998年10月に、黄_qii_氏と妻・曽莉さんが、行方不明者を探すためのサイト「天網」(www.64tianwang.com)を設立した。中国では、この分野の第一人者であった。当初の目的は、「天安門大虐殺」事件で、失踪したひとたちを見つけることであった。ウェブサイトの発展に伴って規模がどんどん拡大し、世間の注目を浴びるようになった。多くの人は「天網」に、行方不明となった家族の資料を貼り付けるようになった。わずか1年間で、200あまりの離散家族が、再会することができた。「天網」の話題が世間での美談となり、数百のメディアがそれを報道した。人民日報も含めて、99年の中国九大ウェブサイトにも選ばれた。

その間、黄_qii_氏らは、中国の低層社会と接触する機会が増えた。不公平な待遇を受けた百姓のために、「叫び」というコラムを開設した。最初に暴露したのは、四川省の漁民二十万人が海外に集団労働派遣されるために盲腸を切除する手術を強制された事件だった。国内外の100以上のメディアが、このことを報道した。当時の首相・朱熔基氏が、この事件を徹底調査するよう命じたという。この事件は、四川省の関係部門の個人的利益に触れたため、黄_qii_氏は、政府部門と暴力団の両サイドから、度々脅迫を受けた。

2000年2月、同サイトで国家機構が保険業務で不正行為を行ったという訴状が掲載されたため、関係する地方官僚が大激怒、「天網」は封鎖された。アメリカのあるインターネットプロバイダの支持を得て、3月にアメリカ企業のサービスで業務を再開した。民衆は、サイトで数々の冤罪を訴えはじめ、宗教や思想上のことを理由に逮捕された大勢の人のリストまで公表した。中国政府に対する批判が益々強くなった。6月3日に成都市の警察は、黄_qii_氏の会社事務所で民衆と記者を前に彼を逮捕した。

黄_qii_氏が逮捕されたことは、国際社会に衝撃を与え、多くのメディアが報道した。2003年4月、「コンピュータによる自由とプライバシーを考える年次総会」では、全世界各地から数百人の専門家が集結し、黄_qii_氏事件の解決に協力を呼びかけた。2004年6月に、「国境なき記者団」と「フランス基金会」が、「インターネットの自由賞」を黄_qii_氏に授与した。

(大紀元記者・辛霏)

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