乙女への挽歌『子守学校』(1)

【大紀元日本2月10日】



江戸の子守唄(東京)

ねんねんころりよ おころりよ

坊やはよい子だ ねんねしな

ねんねの子守は どこへ行った

あの山こえて 里へ行った

里のお土産(みや)に 何もろった

でんでん太鼓に 笙の笛

おきゃがりこぼしに 振り鼓(づつみ)

おきゃがりこぼしに 振り鼓(づつみ)



明治・大正・昭和初期にかけて、子守たちの唄声が日本のお空に輝いていました。江戸の子守唄は「寝かせ唄」のヒットソングです。子守りをする「守り子」たちの思いが、ふつふつと伝わってきます。乳幼児をあやして寝かしつけながら、子守の思いはいつも山を越えて里へと向かいます。そしてでんでん太鼓と笙の笛が、山と里を絶えず行き来する思いを運びます。それはまるでちょうど、あやす子の眠りと目覚めのリズムをなぞって、子守の思いの振幅が唄われているかのようです。

山と里があり、子守りたちの踏み固めた道があります。泣く子と遊んでなだめる子守りの大変さは、子育てをしたことのない人にはピンときません。陽の当たる坂を上ることとは別の辛抱強さと温もりを、心の底に宿していなければ子守りを全うすることはできません。子守りに仕えた少女たちはそれをやり遂げ、沢山の子守唄を創り出してくれました。日本の故郷をたどり継承するヒントを、子守唄から汲み取ることができます。

シャドーワーク(家事など給金に換算されない仕事)の担い手として、子守りに明け暮れる少女達に、日の光が当たる時代がやってきます。1883年(明治16) 茨城県猿島郡小山村に、渡辺嘉重さんが日本最初の子守学校を開きました。学童が連れてきた乳幼児の面倒を、教育者の観点から引き受けたのです。託児所が日本に誕生する魁(さきがけ)となった試みでした。その後明治・大正を通じて41都道府県に子守学校が行き渡ります。

シリーズの次回では『子守学校』を追って、子守り唄のゆりかごの中から日本の「託児所や保育所」が生まれてくる時代のドラマを辿ります。

関連記事
内なる不満を見つめ、愛を与える方法を通じて、心の癒しと新たな可能性を見出すヒントをご紹介します。
最新研究が脳損傷患者の意識の可能性を示し、医療や家族の対応に新たな光を当てます。
GoogleのAI「Gemini」が大学院生に不適切な発言をし、AI技術のリスクが改めて問題視された。企業の責任が問われる中、AIの安全性や倫理が注目されている。類似の事例も増え、技術の普及とリスクのバランスが課題となっている
健康な心血管を保つための食事、指圧、運動の実践方法を解説。心臓病予防のヒントが満載です!
専門医が語る乳がんリスクの主な要因と予防のポイントを解説。生活習慣の見直しで健康を守りましょう。