「西方極楽世界漫遊記」(2)
この記事は、「西方極楽世界漫遊記」(1)の続きです。
阿弥陀仏を拝見
兜率天を訪れた後、観音菩薩は寛浄を連れて阿弥陀仏を拝見した。到着すると、寛浄はただ大山の壁が聳えているようにしか見えなかったが、それは阿弥陀仏の足の指であった。寛浄法師が加持してくれるように祈ると、身体はすぐ高くなり、阿弥陀仏の臍ぐらいまでになった。寛浄は阿弥陀仏の形象に関して次のように語った。「その佛は、数え切れないほどの層の蓮花の台座上に立っており、花弁のそれぞれの層には宝塔があってすばらしい世界を演出しており、千万の色光を放出し、光の中に佛がおり、金色の光の中に座っていた。その佛の眼は、茫々たる大海のようで、人々は信じないかもしれないが、実際その眼は、人間界の大海のような大きさであった」。
寛浄は、美しい極楽世界を見て、そこに留めてもらえるように阿弥陀仏にお願いした。しかし、阿弥陀仏は、寛浄にこう言った。「あなたは、両劫以前に願を発して、このような方式で衆生を救い済度したいと願った」。この話を聴いた瞬間、寛浄法師は両劫以前のあの一節の因縁往事を見えた。
それから、阿弥陀仏は観音菩薩に寛浄を連れて各所を見て回るように言った。蓮華池に着くと、観音菩薩は「池で体を洗ってみましょう」と彼に言った。寛浄法師は「衣服が濡れたら、どうしましょうか」と聞いた。観音菩薩は「濡れません。娑婆世界の池とは違います」と答えた。寛浄法師は、言われるままに池に入った。不思議なことに衣服は濡れないし、蓮華池の中で意のままに体を移動することができる。体を浮かせようと思えば浮くし、沈もうと思えば沈み、左に行こうと思えば左に、右に行こうとすれば右に行き、完全に自分の意のままであった。蓮華池の中の水は、『仏説阿弥陀経』の中に記している「八功徳水」である。
苦しみのない極楽世界
寛浄法師によると、われわれ娑婆世界の衆生には、生、老、病、死や求めても得られない苦しみ、恨み憎しみの苦しみ、愛する人と別れる苦しみなど様々な苦しみがあり、それらから逃れることはできない。極楽世界では、たとえ最下の階層にいる生命でも、絶対に上述のような苦しみはなく、それゆえ「極楽世界」なのだという。
極楽世界には、さらに階層の区分があり、大体において、上品、中品、下品に区分される。それぞれの一品が、また三品に区分されるために、全部で九品になる。下品に行けば行くほど、階層はますます低くなり、身体はますます小さくなる。下品に生まれた人は、皆業を持って往生した生命である。そこには、老若男女の区別はなく、蓮花に化生した後、一律に13歳から14歳ぐらいの年齢になり、老人は若返り、皆が親切で可愛く変身し、美貌が増しし、外見上では男女の別があるものの、実際には男女の別がない。
極楽世界では苦しみがないため、ここで修行することは非常に難しい。下品に往生した者は、最上の一品の佛にまで修行しようと思えば、2億157万6千年の時間がかかる。しかし、もし人々が娑婆世界で決心を固めることができ、努めて苦しみの中で修煉することができれば、3年から5年で中品もしくは上品にまで到達でき、成道することができる。
極楽世界で故郷の旧知に出会った
極楽世界で故郷の旧知に出会った
途中、寛浄法師は福建省の蒲田に住んでいた旧知の林道一に出会った。彼は寛浄に、シンガポールに住んでいる息子・阿旺へ「中国の父は、すでに西方浄土に旅立った」と伝えるようにと頼んだ。
寛浄はまた、福建順昌から往生してきた女居士に出会った。1960年当時、彼女は出家を決意したが、他人から干渉を受け、最後には崖から飛び降りて自殺してしまった。これは、本来「十悪の死」に属し、上の世界には住めないのであるが、観音菩薩が大慈悲を発し、彼女の一片の誠心を量って、浄土世界に導いたのである。
観音はまた、寛浄を蓮花広場に連れて行った。そこには、続々と数十人、数百人、数千人、数万人の女児が見える。彼女たちは、一緒になって集まり、非常に身軽で、容易に飛ぶことができ、一瞬に数千人、数万人が眼前に出現した。人間とは違い、数千人、数万人が集まるのは、手間がかからず、時間も掛からない。
(続く)「西方極楽世界漫遊記」(3)
(翻訳・太源)