三千年前の呉国の城、江蘇省で発見
【大紀元日本10月24日】中国国家文物局、中国社会科学院および江蘇省文物局で構成された共同考古学グループが12日、江蘇省鎮江市丹陽市珥陵葛城村で呉国の城跡を発見した。これは三千年近く前のもので、現在江南地方で発見された最古の城跡である。新華ネットが伝えた。
鎮江市博物館副館長・肖夢龍氏の話によると、その昔呉の首都が「宜城」と呼ばれ、現在の江蘇省鎮江市内にあると言われているが、いままで発見されなかった。この新しい発見は、西周中期から春秋時代中後期において鎮江が呉の領地であり、呉文化の重要な発祥地の一つであり、呉の都が蘇州へ移ったのは春秋時代中後垣xun_ネ降であることを証明したと語った。
測量によればこの「葛城」と呼ばれるこの古城は東西に200m南北に190m面積は3.62万㎡であり、城の輪郭はくっきり見え、堀もはっきりと識別できる。高さ10m、幅24mの城壁は現在柳の木に取って代わられ、約50mの長さが残っているのみだ。
葛城の中央では屋敷の跡が発見されており、残っている焼けた表土からこの面積は少なくとも25㎡以上あるとわかった。専門家の話では当時の一般的な部屋の面積が10㎡前後ほどであるのに対し25㎡の広さの部屋はまれであるという。
江蘇省考古研究所研究員・張敏氏は、この城跡の発見は中国呉文化の研究にとって重大な発見であり、呉国の領域と勢力が寧鎮地区から太湖流域へ向かって発展していった証拠であると話している。
(翻訳・坂本)
関連記事

玉ねぎは冷蔵庫に入れると逆に傷みやすい?風味を損なわず長持ちさせるには「温度・湿度・包装」が鍵。知らないと損する保存術をご紹介します。

目の疲れや体の不調に効く「行間」のツボをご紹介。高血圧やストレスを和らげ、肌の輝きも取り戻せるセルフケア法を今すぐ試して、心身のバランスを整えましょう!

唐の時代、雪に包まれた上苑で女帝・武則天の心は曇り、冷えた空気がその憂いを深めていました。彼女はその心情を詩に込め、明朝に百花を咲かせるよう命じるのでした。

日本料理が「水の料理」と呼ばれる理由と、五行思想に基づく食文化の調和の重要性について解説。肝木を整え、脾胃を守る食事法を学びましょう。

夜間の人工光とPM2.5による大気汚染が、子どもの甲状腺がんリスクを高めることが研究で判明。日本の都市環境も例外ではありません。