母親の遺訓を心に刻む宋朝の賢相

【大紀元日本1月4日】寇準(こうじゅん、961年―1023年)は、北宋の宰相である。その剛直な性格と職に忠誠を尽くしたことによって、歴史に名が残されている。寇準が国と民のために一生を捧げることができたのは、母親が残した遺訓の影響を受けたからだと伝えられている。

寇準が幼い時に父が亡くなったため、家は清貧で、母親の機織に頼って生活していた。母親は常に、夜中まで糸を紡ぎながら息子の寇準に読書を教え、苦学を促していた。その甲斐あって、後に寇準は科挙の試験を受け、進士に合格した。この朗報が故郷に伝わった時、重病を患っていた寇準の母親は、臨終の際に自ら筆をとって一枚の絵を描き、家人の劉氏に託して、「寇準は後日必ず官吏になれます。もし彼の歩む道が歪んだら、この絵を彼に渡してほしい」と言い残した。

後に、寇準は宰相になり、自分の誕生日を祝うために、芝居の一座を二つも呼び、宴会を準備して幕僚たちを招待しようとした。劉氏はこれを目にして、今がその時だと考え、寇母の絵を彼に渡した。寇準が絵を開いて見てみると、それは「貧寒の家で子に教える」の図であり、次のような詩が添えられていた。「さびしい灯火の元、読書を教え苦労する。あなたには万民のために身を修めることを望む。勤勉にして倹約の家風が、慈母の遺訓であり、他年に富貴になった時も、貧しい人のことを忘れることなかれ」

これこそ正に母親の遺訓だと思った寇準は、何度も拝読しているうちに、涙が泉のように湧き出てきた。そこで、彼は即刻、誕生日の祝宴の準備を中止させ、それ以後も、身辺を清潔にして人民を愛し、公平無私で、宋朝の有名な賢相になった。

(文・智眞/翻訳・太源)

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