信仰を侮辱した者への報い

【大紀元日本10月30日】《魏書》によると、北魏の時代の司徒(役職名)崔浩(さいこう)は賢くて記憶力に優れ、大変な物知りだった。太武帝からも厚い信頼を受け、重用された。

 しかし、彼は仏を嫌い、寺を壊して僧侶を排斥するよう太武帝に薦め、仏教弾圧の立役者となった。崔浩は自分の妻が経を唱えているのを見ると激怒し、その経を焼き捨てた。一方、崔浩の弟である崔頤(さいい)、崔模(さいも)は信心深く、仏像を見ると必ず拝んだ。崔浩は彼らを嘲笑し、仏教の信仰をやめるよう警告したという。

 その後、国史問題で太武帝を怒らせてしまった崔浩は残酷な拷問を受けることになる。太武帝は数十名の兵士に、崔浩の体に糞便をなすりつけるよう命じて崔浩を辱めた。彼の悲痛な叫び声は、遠くまで響き渡ったという。崔氏一族は皆殺しとなり、死体は街中にばらまかれたが、崔頤と崔模だけは災いから免れた。

 太武帝が仏教を禁じてからしばらくたったある日、昙始(たんし)と名乗る威風堂々とした僧侶が錫杖を手にし、宮殿に現れた。

 太武帝は兵士らに彼を殺すよう命じたが、どのような方法を持ってしても、殺すことができない。激怒した太武帝は自ら刀を手にしたが、彼を傷つけることが出来なかった。虎の檻に彼を投げ込んでも、虎たちは彼を見るなり脅えだす。これを見た太武帝はようやく何かを悟り、直ちに昙始を宮殿に招きいれ、自分が犯した罪を悔い、仏教を復興させることを約束した。

 中国には、正教を弾圧したために降りかかった災いについて、たくさんの記述がある。秦の始皇帝は近侍の李斯(りし)の勧めにより、焚書坑儒を行った。その後、始皇帝は野外で命を落とし、李斯は残酷な死刑を受け、李斯一族は皆殺しになった。

 漢時代の桓帝、霊帝、また唐時代の昭宗、宣宗は妃や宦官に唆され、世の中の名士を皆殺しにした。その結果、補佐大臣が殺害され、国が滅びた。周武帝は衛元嵩(えいげんすう)の上進により、仏教を禁じた。仏教を禁じて4、5年もしないうちに衛元嵩は亡くなり、周武帝は突然悪い病にかかり、36歳で亡くなった。唐武宗は道士の趙帰真(ちょうきしん)、また廃仏主義者で政治家の李徳裕(りとくゆう)の勧めにより、仏教を弾圧した。しかし、一年もしないうちに趙帰真は殺され、李徳裕は島流しの末に亡くなり、武宗は32歳で跡継ぎがいないまま、この世を去った。

 

(翻訳編集・天池 花蓮)

 

 

 

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