三国志 関羽が中国で神様と崇められた訳

青龍刀を片手に赤兎馬をかり、劉備の部下として数々の戦いで大活躍した関羽三国志の英雄としては、名軍師として名高い諸葛亮とともに、日本でも非常に人気があります。

しかし、古来、中国では日本以上に人気があり、それどころか後世の人々から次第に「神様」として崇められています。諸葛亮は知、関羽は武という違う畑ですが、その実力、主君への忠誠度、後世にもおよぶ知名度など、どれをとってみても遜色ないのに、なぜ関羽だけが、そのような特別扱いを受けてきたのでしょうか?

建安5年、劉備が曹操の攻撃を受け敗走した際、関羽は妻子の身の安全を交換条件に曹操の捕虜になりました。有能な人材に目がない曹操は喜び、劉備の妻子ともども関羽たちを下にも置かず、将軍に任命するなど、非常に厚遇しました。

その後、曹操と袁紹の間に戦争(官渡の戦い)が起こりました。袁紹陣営には勇将として名高い、顔良という武将がいて、曹操陣営には顔良に敵う武将はおらず手こずっていました。困った曹操は関羽に顔良の攻撃を命じました。関羽は馬に鞭打って突撃すると、あっさり顔良を討ち取ってしまいました。そして顔良にならぶ勇将だった文醜も続けて討ち取り、袁紹陣営に大打撃を与えました。

眼の前のコブを一気に取り除いたような目覚ましい関羽の活躍を目の当たりにし、曹操は何とかして関羽を自分の部下にしたいと考えました。

ある日、関羽がいつか自分の元を去り劉備のもとに戻るかもしれないと考えた曹操は、部下に関羽が自分の陣営に残るつもりがあるのかどうか探らせてみました。すると関羽は曹操陣営にとどまるつもりはなく、曹操から主君の妻子ともども厚遇を受けた恩を返したら、劉備のもとへ戻るつもりであることがわかりました。

曹操は、何とか関羽を自分の部下にとどまらせようと、様々な金銀財宝を関羽にあたえました。しかし関羽はこれらの金銀財宝に目もくれず、手紙を残し、袁紹に身を寄せている劉備の元へ去りました。部下たちは関羽を追いかけようとしましたが、曹操は関羽を追ってはならないと命じました。

関羽をまた劉備のもとに戻したら、いつの日にか自分に仇をなすことは分かっていなかったはずはありませんが、厳しい人物評価眼をもっていた曹操は、関羽の並外れた義理固さに感嘆し、それを惜しんだのかもしれません。

関羽のこのような「義を守り、忠を尽くす」人となりは、死んでからも尚、後世の人々に語り継がれ崇められます。主君の息子、劉禅から「壮繆候」の爵諡[1]を授かったのをはじめ、唐、北宋、南宋、元、明、清と各時代の王からも爵諡を贈られました。

また、どのような状況でも堅く正義を守るという「義」をまさに体現した関羽は、信用を重んずる商人たちからも尊ばれ、次第に商売の神様に祀り上げられてきました。

関羽を祀る「関帝廟」の多くは文化大革命の時に破壊されてしまいましたが、日本の横浜にある関帝廟の他、世界中の中華街にある「関帝廟」で関羽の「義」のスピリットは生き続けているのです。

[1]爵諡(しゃくし) 家臣などに対し、死後に生前より上位の爵位号を与えることであり、関羽は歴代の王朝から諡号を贈られた。

(大道修)

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