【紀元曙光】2020年8月7日

(前稿より続く)脱線を承知で、もう少し書く。忠臣蔵は、歌舞伎や浄瑠璃になって独自の道を歩き始める。

▼『仮名手本忠臣蔵』が初演を飾ったのは1748年。旧赤穂藩に恩義のある商人・天野屋利兵衛は、拷問にかけられても口を割らず、ついに取り調べの奉行が根負けする。そこで「天野屋利兵衛は男でござる」と言ったか否かは、どうでもよい。史実になくとも、民衆が感動を覚えることが重要なのである。

▼武士でなくとも、武士道を内包し実践することはできる。それはいつしか日本人の「背骨」となった。しかし現代の日本人が、その貴重な背骨をどれほど継承しているだろうか。それが新渡戸『武士道』を再読しようとする本稿の趣旨であるが、李登輝さんは、その点を、日本人のために心底懸念していたに違いない。

▼不思議なもので、新渡戸『武士道』は、武士が実在した時代が過ぎ去った明治の後半に、日本人が西洋文明と否応なく接する中で編まれた、日本人にとっての自己再発見の書ともなった。それは新渡戸の出身が、政治の俗にまみれた長州や薩摩ではなく、奥州南部の盛岡であることにも関係するだろうが、その方面への探求は、しばらく置く。

▼その第一章、武士道とは何か。新渡戸は、武士の掟(おきて)すなわち「高き身分の者に伴う義務」と説いた。他者を低く見るのではなく、自己を責任あるものとして自覚することを指すのだろう。

司馬遼太郎さんも「武士道とは、自分に対する責任感である。自分が間違っていたら、究極的には切腹する」と述べている。敵を多く殺せばよいような、単なる戦闘員ではない。(次稿へ続く)

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