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【歌の手帳】世捨て人の願い

 願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ(続古今)

 西行(1118~1190)の作。22歳で出家し仏門に入った西行は、文治6年2月つまり如月(きさらぎ)16日、河内国(大坂)の弘川寺で病のため入寂します。新暦でいえば3月30日に当たるので、桜の盛んな季節であったことでしょう。

 まさに自身の歌の通りに生涯を完結させました。その見事さが、西行の歌人としての名声を後世につよく印象づけたことは間違いありません。享年73歳。当時としては十分に長寿でありながら、その足跡は関東から奥州、あるいは紀州高野山など各地に及んでおり、晩年になってからも健脚を維持していたことが伺われます。

 旅に生き、旅に病み、旅先で死ぬ。本人にとっては満足であろう漂泊歌人の生涯は、西行から五百年後の芭蕉につながるのですが、有名な表題の一首について、西行がいつ頃これを詠んだか、興味が引かれるところです。

 一般には、西行晩年の作だとされています。しかし、本当にそうでしょうか。確かに、自分の気の向くまま諸国を旅して、各所に草庵を結び、隠遁の楽しみを十分に味わった後に自分の人生の終わり方を「計画」した歌だと解すれば、晩年の創作ということにもなります。

 ただ、私はどうもこの歌には、西行という歌人の、まだ青い若さを感じるのです。「どう死ぬか」に固執してわざわざ歌にするのは、その時期が、実感としてはまだ遠いことにもなります。死という誰もが避けがたく、その時期も決めがたい現実を自分から企図しているという意味で、ポーズをとる夢想を脱していない。言い換えれば、まだ捨てきれていない自己があるようです。そう考えるとこの歌は、西行青年期の、若気の至りの一首のようにも見えてくるのです。

 そうした人間味は、かえって西行という人の魅力でもあります。出家して仏門に入ったとはいえ、西行はやはり衆生を救う宗教の人ではなく、歌人という表現者でした。「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」と詠っているように、「心なき身」でありながら「あはれ」を感じるよ、と自身がその矛盾を認めて正直に言うのですから。

 西行。もとは北面の武士という武門の家柄で、俗名を佐藤義清といいました。西行は、もちろん質素な日常を送っていたはずですが、自分で耕作しなくても自領の荘園からの収入があり、食物や旅費の工面はできたと考えるのが自然です。それでは本当の世捨て人ではないとも言えますが、そこまで追求したら中世の隠者文学が成り立たないので、言うには及びません。

 私は、芭蕉が好きなように、どこか人間っぽい西行も好きです。そんな西行さんに親しみを込めて、一首献上します。

 結びたる草の庵に隠れ住み訪(とぶら)ふ人のあれと願ふや

(敏)

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