(L-ouise/Creative Commons)

<心の琴線> いつ帰ってくるの?

はすっかり年をとり、子どものように駄々をこねるようになった。電話では、いつもうれしそうに、「いつ実家に帰って来るの?」と聞いてくる。

 母の家は千里以上離れているうえ、3回も乗り継ぎをしなければならない。仕事や子どもの世話だけでも大変なのに、ましてや実家に帰るなんて・・・。耳が遠い母に私は根気良く説明するが、母は何度も聞いてくる。「いつ実家に帰れるの?」

 ついに我慢できず、私が大声を出すと、母は黙って電話を切った。何日か過ぎて、母はまた同じことを聞いてきた。しかし、今度はなぜか語調が沈んでいる。まるであきらめない子どものように、聞いてもだめだと分かっていても聞いてくる。私は心を落ち着けて、黙っていた。

 私が平静になると、母はうれしそうに実家のことを語り始める。「ねえ、裏庭のザクロはぜんぶ花が咲いているし、スイカも間もなく食べ頃なのよ。だから早く帰って来てね」

 「忙しいし、休暇を取ることは難しいのよ」と、私は少し困ったように答えた。すると母は、「もし私がガンにかかって、あと半年しか生きられないと言ったら・・・」と、急に話を変えた。私が母のでたらめをとがめると、母はホホホと笑った。私は子どものころ、強風で雨が降ると、学校をサボるためにお腹が痛いと仮病をよそおい、いつも母に見破られていた。今では母も老い、反対に娘に嘘をつくなんて、と私は苦笑した。

 このような問答を何回も繰り返した後、私はやむにやまれず、来月きっと帰ると母に告げた。母は嬉しさのあまり、涙にむせんでいるようだった。電話の向こうにいる母は、話す力も弱弱しかった。しかし、いつも忙しい私は、結局実家に帰ることができなかった。

 その後も、母からは頻繁に催促の電話がかかってきた。「ブドウも、ナシも熟してきたわよ。だから早く帰ってきて食べてね」。 私はすかさず、「果物は珍しいものでもないし、町のあちこちで売っているわ。いつでもたくさん食べられるのよ」と言い返した。母が少し落ち込んだように感じたので、「でも、市販のものは化学肥料や農薬を使っているから、お母さんが栽培したものとは比べられないね」と、母を慰めた。それを聞いて、母は得意そうに笑った。

 とても蒸し暑いある土曜日の午後、突然、母が大きな袋を背負ってやって来た。家に着くなり、持ってきたものを並べ始めた。母の手は青筋が立ち、10本の指にすべて絆創膏を巻き付け、手の甲にはかさぶたになった傷跡があった。「早く食べなさい。これは、全部私が選び出したのよ」と、母は私を促した。

 遠出したことのない母は、私の一言で遠路はるばるやって来たのだ。一番安上がりの、エアコンのないバスに乗って来たが、ブドウやナシはすべてみずみずしかった。母がどうやって来ることができたのか私には想像もつかなかったが、ただこの世で、母がいる場所には必ず奇跡が起こるのだと感じた。

 朝から晩まで働き、また子どもの世話もしなければならない私を見ながら、都会の台所に慣れない母は、手伝いたくてもできなかった。たった3日間いただけで、母はこっそりと切符を予約し、一人で自分の家に戻っていった。

 家に戻ってから1週間が経ち、母は再び私に会いたいと話し、しきりに実家へ帰るよう促した。「お母さん、もう少し我慢してね」と言って電話を切ったが、翌日、叔母から電話があった。「お母さんが病気になったの、すぐに帰って来て!」 私は慌てて、泣きながら駅まで駆けつけ、終電に飛び乗った。

 車中で私は祈り続けた。「お母さんのお説教を聞きたい。お母さんが作ってくれた料理をお腹一杯食べたい。お母さんのお見舞いにも行きたい」。いろいろな思いが込み上げて、胸がいっぱいになった。その時私は、「人はどんなに年をとっても母親が必要なのだ」ということが分かった。

 バスが村に着くと、満面笑顔の母が小走りでやって来た。私は母を抱きしめて、「何で病気になったなんて言ったの?どうやって考え出したの!」と、母を責めた。とがめられた母は、それでも喜んでいた。母はただ私に会いたかっただけなのだ。

 母は嬉しそうに食事を用意し、おいしいものをいっぱい作ってテーブルの上に並べ、私からのほめ言葉を待っていた。私は容赦なく批判した。「唐アズキのかゆは焦げているし、焼きまんじゅうの皮は厚すぎるわ。肉あんかけの味はしょっぱい…」 母の笑顔がたちまち固まり、残念そうに頭を掻いた。私は心の中でひそかに笑った。「いったん私が何かおいしいと言えば、母は必ずいっぱい食べさせるし、帰りに持たせる。そうなると、私はまた食べ過ぎてしまって、どうしても痩せられないわ」

 私は母に料理を作り、ゆっくりと話をした。母は私のことをじっと情のこもった目で見つめた。私が何を言っても、母はうれしそうに耳を傾けて聞いている。昼寝の時でも、母はベッドの脇に座り、ニコニコと私を見つめていた。「こんなに私のことが大切なら、どうして私と一緒に住まないの?」と聞くと、母は都会のマンションに慣れないから、と答えた。

 何日か過ぎ、私は急いで家に戻りたかったが、母は私にもう一日いてほしいと頼んだ。叔母の家から戻ってくると、母が心をこめて用意した料理が出来上がっていた。よく見ると、魚にはうろこが残っているし、鶏肉には細かい毛が残っている。キノコ料理の中には髪の毛が入っていた。肉料理も野菜料理も、あまり食べる気にならなかった。母は若い時はきれい好きだったのに、年を取ってからだらしなくなったのだろうか・・・。母は、私が食事に箸をつけないのを見ると、私を夜行バスで帰らせることにした。

 とても暗い道を、母と私は腕を組んで歩いた。「あなたは田舎の道に慣れてないから」。 母は私に付き添って乗車し、いろいろと世話をした。バスが走り出すと、母は急いでバスを降りたが、服がドアに引っかかってもう少しで転ぶところだった。私は驚いて、バスの窓から叫んだ。「お母さん、お母さん、気をつけて!」 母はバスを追いながら叫んだ。「私は怒っていないよ、あなたが忙しいとわかっているから!」

 年末になり、叔母からまた電話がかかってきた。「お母さんが病気になった、すぐに帰ってきて欲しい」。おととい、母は電話で「私は元気だから心配しないで」と言っていたのに、まさか?

 叔母はしきりに私に来るよう促した。信じられなかったが、母の好きな揚げ餅を買い、実家に駆けつけた。

 バスが村の入り口に着いても母の姿が見えない。私は不吉な予感がした。その後、叔母が真実を教えてくれた。

 私に電話をかけてすぐに母は息を引き取り、とても静かにこの世を去ったのだという。半年前、母はガンと診断されたが、誰にも教えなかった。普段のように元気に働き、自分の死後の準備も全て手配していた。「あなたのお母さんは、随分前から目の病気を患い、ものを見るのはとても大変だったのよ」。

 私は揚げ餅を胸に抱き、心が引裂かれそうだった。母は自分の命が長くないと知り、しきりに私に電話をかけてきた。私に会いたくて、私と話をしたかったのだ。私が食べなかった料理は、母の弱った視力で頑張って作ってくれたものだった。私はなんて馬鹿だったんだろう。私が帰ったあの夜、母はどうやって家までたどり着いたのだろうか。途中で転んだりしなかったのだろうか。私には永遠に知ることができないのだ。

 最後に会った時、母は楽しそうに私に話してくれた。インゲンマメの花の色は、私が子どものころに着ていた紫の服を思い出す、と。母はすべての愛、すべてのぬくもりを残し、静かにこの世を去った。

 母はこの世で唯一、私に対して怒らない人であり、唯一、永遠に私を待っている人である。この深い愛を受けながら、私は母を長く待たせてしまった。

 お母さん、ごめんなさい。私はそんなに忙しいわけじゃなかったのに。

 

(文・劉継栄 / 翻訳編集・李頁)

 

 

 

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