チベットの光 (59) 野草のイラクサ

叔母がくれた食料をミラレパは毎日少しづつ節約して食べていたが、それでも食べきってしまう日がある。四年が経過して、しまいには何の食物もなくなった。もし山を下りて食を乞わなければ、飢え死にしそうな状況であった。

 このとき、ミラレパは心の中で考えた。「世の中の人は、修煉すれば佛にもなれるこの人身を、名利を得るために使い、営利を得るために汲汲として、少しでも得れば嬉しがり、少しでも失えば残念になり、実に可哀そうなものだ。ああ!もし全世界の財物がこの手にあったとしても佛になれることと比べたらとるに足らないものだ。この人身があるから、修煉して佛にもなれる。だから、この人生を惜しみ、時間を浪費しないようにしなくては!」

 ミラレパは再三考えて自らに言い聞かせた。「このように考えて、もし佛に修成する前にこの人身を失ってしまったら実際惜しいことだ。私には現在食物がない。もし山を下りずに食物を探さなかったら、飢え死にしてしまうかもしれない。私は山を下りて食物を探し、生命を維持すべきなのか」。彼はみずからへの数年前の誓約を思い出し、山を下りるか否かのためらいが生じた。

 ミラレパはまた思い返して、最後の結論を得た。「今ここを出るのは、人間的な享楽を得るためではない。わずかばかりの食料を得て、生命を維持して修行を続けるためだ。佛になることが修煉の最終的な目的であり、佛になってこそ本当の解脱に到達することができ、それでこそ衆生を済度することもできる。もし修成することができずに修行のために飢え死にしてしまったら、それこそ本末転倒ではないのか。もしこの人身を惜しむことがなかったなら、盲目的な生活を送って、生命を浪費している世人と一緒ではないのか。したがってこれは、前言の誓いに違背しているのではなく、それとは反対に、いま自分がやるべきことなのだ。彼はそう考えると洞窟を出るべく、そのとば口にまでやってきた。それは、ここ数年来で初めてのことだった。

 そこに立ってみると、崖の外は広々としていて、日光が十分に差し、前には小川が流れていて、辺り一面には野草のイラクサが青々と茂っていた。ミラレパは、山の麓に広がって自生しているこれらのイラクサを見て、心中で喜んだ。「これはまさに天の助けだ。こんなにイラクサがいっぱいあるのなら、山を下りることもないぞ。この野草を食べればいいじゃないか」

 こうしてミラレパは山を下りずに、これらのイラクサを食べて日々を過ごし、洞窟の中で修行を続けた。ミラレパの修煉しようとする心は堅く、毎日野草を食べて過ごしても、少しも苦にならなかった。こうしてまた時間は経過し、彼の着ている衣服は、まるで身体にぼろきれが纏わりついているかのようになった。彼はイラクサだけを食べ、他には何も口にしなかったので、身体が弱っただけでなく、その頭髪や毛穴までもが緑がかっていた。彼はまるで、骨と皮だけの緑の骸骨のようになっていた。

 (続く)

 

(翻訳編集・武蔵)

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