ティカル遺跡(azz / PIXTA)

世界中のピラミッド(61)グアテマラ:ティカル遺跡

グアテマラティカル遺跡

ティカルは古典期マヤの大都市で、ティカルの遺跡は、1979年に世界遺産の複合遺産に登録されました。

ティカル遺跡は1696年頃に発見されて、1848年頃に発掘作業が行われ、1955年に外部向けに開放されました。そして、1963年に大規模な発掘作業が行われ始めたのです。

ティカルの歴史は紀元前800年まで遡ることができ、1世紀頃に、ピラミッドが現れました。紀元前300年頃から450年頃までは、マヤ文明の創設期とされ、第1回目の繁栄を迎えました。しかし、その後衰退していき、700年頃から800年頃、イキン・チャン・カウィール(第27代目の統治者)の時期に再び隆盛しました。

この第2回目の最盛期に、計3千以上のピラミッド、祭壇、石碑などが建てられ、その文明は周辺の広い範囲に影響を及ぼしました。そして、900年頃、このティカルも他の古典期のマヤ都市と同じように置き去りにされ、その理由は今でも解明されていません。

(つづく)

――正見ネットより転載

(作者・意文/翻訳編集・天野秀)

関連記事
古代都市テオティワカンは、空中から見下ろすと、9つの惑星の並びと一致しており、位置の比例は驚くほど正確です。そのため、テオティワカンの設計者は惑星と太陽との距離や軌道上での運行状況を熟知していたことが分かります。
マヤ文明は紀元7世紀から8世紀に最盛期を迎えたが、9世紀には突如、姿を消した。古代都市コパンは800年頃に廃棄され、マヤ最大の都市と言われているティカルでさえも、869年に廃棄された。
マヤ文明の多くの謎が未だ解明されていません。例えば、マヤ文明は石器時代に属していますが、銅器もなければ鉄器も発見されておらず、獣の骨と木鋤の活用のみでした。しかし、高度な文明を持っていたのです。
ある学者は、マヤ人にはモンゴル人の血統と黄色人種の血統があるといいます。大昔、モンゴル人は寒冷な気候によって大移動し、シベリアからベーリング海峡を経て北アメリカへと向かい、その後、南アメリカに移りました。
ピラミッドはマヤの人々の偉大な傑作です。エジプトのピラミッドに負けず、マヤのピラミッドにも多くの謎と数値の偶然の一致が存在しています。古代都市テオティワカンは神秘に包まれ、太陽のピラミッドの位置も精密に計算されています。