百花繚乱!マウリッツハイス美術館の200周年記念イベント(下)
消費者のチューリップに対する需要は1630年にピークに達し、経済成長に伴い、花の静物画に対する需要も増加していきました。
当時、チューリップの絵画やイラストが植物図鑑のほとんどを占めていました。画家たちは模様が入ったチューリップ、いわゆるブロークン・チューリップを描くのが好きでした。名前の通り、ウイルス感染によってこのような特殊な模様の花が生まれました。もちろん、このウイルスはチューリップやユリなどの植物にしか感染しません。このチューリップを発見したのはカロルス・クルシウス(Carolus Clusius)という名の男でした。
クルシウスはまた、生まれつきの色が外的要因によって変化した場合、花の寿命が短くなることを発見しました。このことについて、彼は「散っていく前に、最後の命を振り絞って、鮮やかな色合いで見る人々を魅了し、別れを告げている」と表現しました。
1637年になると、チューリップバブルが崩壊し、多くの投資家が破産しました。市場が崩壊した原因について、需要が頂点に達し、価格がこれ以上上がらなかったためなど、様々な原因が挙げられています。
花の静物画
アンブロジウス・ボスハールトは花の静物画のみ描く画家として知られています。1618年頃、ボスハールトは非常に興味深い静物画を描きました。30種類もの花が1つの花瓶に差し込まれていますが、多少経験のある庭師であれば、これは非現実的な想像上の産物であることに気づくでしょう。
なぜなら、30種類の花の咲く時期と生存している国が異なり、この絵のように同時刻に咲き誇ることはできないのです。また、花束の大きさと花瓶の割合もおかしく、現実なら、容易に倒れるでしょう。実は、このような誇張した絵画技法は、花の静物画において早期によく見られる典型的な画法なのです。
1630年代頃には、対称的な静物画ではなく、画家の気持ちや目立たせたいものを重視した構図となりました。ハンス・ボロンジャーが1639年に完成させた静物画はまさにその時代の典型的な代表作です。
17世紀後半になると、花の静物画は更に変化し、昆虫や光の明暗が付け加えられるようになりました。ヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘームが1670年に描いた「青い花瓶の花」は精巧で美しく、よく見ると、蝶々はもちろん、カタツムリや毛虫、蛾などの昆虫の姿も発見できます。
ウィレム・ファン・アールストの「Flower Still Life With a Timepiece(時計のある花の静物画)」に描かれた時計は、短い生命を表しており、当時のオランダで流行っていた「人生の空しさの寓意」を表す「ヴァニタス」と、「死を忘ることなかれ」という意味の「メメント・モリ」のテーマに呼応しています。
1700年代になると、花の静物画は再び柔らかく、穏やかなテーマに戻り、ラッヘル・ライスなどの画家たちの作品はあまり複雑ではないものの、その素晴らしい構図に感嘆せざるを得ません。ライスは80歳を過ぎるまで画家として活動し、100以上もの作品を残しています。
17世紀のオランダの静物画家たちは、時の流れを止め、命の短い花を最高の瞬間に留めていますが、それでも、「美しく咲き誇った後、いつかは必ず散ってゆく」ことを、絵画を通じて我々に教えているのです。
(完)
(翻訳編集・天野秀)