アングル:「楽園が地獄に」、ハマスの襲撃受けた集落の惨状
[クファル・アザ(イスラエル) 10日 ロイター] – 破壊されたベビーベッドが全焼した家の外に放置されている。路上のあちこちに遺体が横たわり、バスケットボールコートの外には遺体の収容袋が並べられている。至る所から死のにおいが放たれている。
ほんの数日前まで、この場所は風光明媚で静かなイスラエル北西部のキブツ(農業共同体)だった。クファル・アザは750人ほどが暮らすコミュニティーで、住民の多くは幼い子どもを育てる家族だ。だが7日、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスが攻撃し、住宅は焼け、村は破壊された。
「母親、父親、赤ちゃん、若い家族がベッドの上や防護室、ダイニングルーム、庭で殺された」とイスラエル軍に長年所属するイタイ・ベルブ少将が10日、話した。自宅で殺害された住民の遺体を一軒一軒回収するベルブ氏は、明らかに動揺していた。
「戦争でも、戦場でもない。これは大虐殺だ」とベルブ氏。中には首をはねられていた犠牲者もいたという。
「軍に40年間所属してきたが、これまでこんな状況は見たことがない」
ガザ地区からわずか3キロの場所にあるクファル・アザは、ハマスのイスラエル南部に対する攻撃で最も大きな被害を受けた地域の一つだ。イスラエル当局は、ハマスによる攻撃で少なくとも1000人が死亡し、その多くは自宅や路上、ダンスフェスティバルで銃殺された一般市民だとしている。
パレスチナ当局は、イスラエルによる報復攻撃で少なくとも830人のガザ住民が命を落とし、複数の地区が完全に破壊されたと発表した。
クファル・アザへの攻撃から生き延びたアビドル・シュワルツマンさん(38)は、イスラエル兵に助け出されるまでの間、妻と1歳の娘と共に自宅の防護室に20時間以上隠れていたという。救出後に見た光景は「真の地獄」だったと明かす。
「至る場所に遺体があった。ありとあらゆる場所に遺体が横たわっていた」とシュワルツマンさんは言う。
「私たちの小さな楽園や天国が、全て焼かれてしまうのを目の当たりにした。燃やされ、血まみれになってしまった」
<キブツのフェンスを突破>
イスラエル国防軍は10日、海外の報道機関をキブツに案内した。焼け落ちて廃墟となった家屋が並び、通りには住民や武装勢力の遺体、焼け焦げた車、壊れた家具やその他の残骸の山が散らばっていた。
イスラエル兵はまだ住宅に爆発物が仕掛けられていないか確認中で、クファル・アザ・キブツでの死者数は10日夕方時点では公式に発表されていない。
軍の報道官は、少なくとも数十人の住民がこの攻撃で死亡したと述べた。戦闘が完全に終わったのは9日の夜遅くで、軍はまだ一連の出来事の経緯を正確に把握していないと付け加えた。
報道官によると、ハマスの武装集団はおそらく土工機械を使ってキブツのフェンスを突き破り、数十人がそこから侵入できるようにした。このほか、オートバイやハンググライダーで到着した武装集団もいたという。ベルブ少将は、約70人が同キブツに侵入したと明らかにした。
ある匿名の予備兵はロイターに対し、カラシニコフ自動小銃や携行式ロケット弾、手りゅう弾で武装した集団がキブツに波状攻撃を仕掛けてきたと話した。
周辺の路上には、黒いシャツにカーキ色のズボンをはき、軍用ベストを着た武装勢力のメンバーの遺体が横たわっていた。拳銃を手にしたままの者もいた。
<最悪の悪夢>
シュワルツマンさんは7日の午前6時半ごろ、ロケット弾のごう音で目を覚ました。その1時間後、キブツの全住人向けに送られた、外に出るのは危険だとのテキストメッセージが届いて、家族とともに自宅の中の防護室に移動したという。
「銃声が聞こえ、軍が救助してくれるまでの21時間、私たちは立てこもった。銃撃や銃声、爆弾や警報が絶えず聞こえ、何が起こっているのかわからなかった。最悪の悪夢だった」と、妻のカレンさんが振り返った。
ヤシの木やバナナの木が植えられ、ベランダ付きの平屋住宅が整然と並んでいたキブツの通りでは、兵士たちがまだ警備を続けていた。
ある家の外には、紫色のシーツに覆われた住人の遺体が横たわっていた。シーツから裸の足がのぞいていて、まるでただ寝ているかのように見えた。枕やその他の身の回りの品が近くに落ちていた。
遠くで銃声と爆発音が聞こえた。上空からはジェット機の音が聞こえ、ガザから煙が上がっているのが見えた。ロケット弾の迎撃を知らせるサイレンが頭上で鳴り響いた。
「ここで見たことを世界に伝えてくれ」。ある兵士が叫んだ。