【大紀元日本6月6日】 中国の高等教育機関(大学、専門学校)の卒業者は年を追って増加しており、企業との需給関係に明確な変化が発生している。今年4、5月期の間、上海から北京、重慶から済南まで、各地の大卒者の就職市場は、ますます食品市場の状態に近づきつつある。人材関係の新聞報道によると、本科生の月給600元という数字は、鄭州や済南においては既に公の提示価格となっている。
心中穏やかでない、ある女子大生は次のように語る。苦労して勉強して、家庭が力を注いで教育を受けさせたその結果が、月数百元の仕事であると分かっていたならば、私は家政婦をやっていた方がましだった。家政婦であれば、食事と住居の手当ても付くのである。
財経時報の報道によると、北京師範大学のテーマ研究「大学生の就職問題研究」によると、中国の大学卒業生が就職する際の月給の最低ラインは、2001年において2,000元であったが、その後次第に下落している。2005年において、卒業生の「心理上の最低ライン」は1,500元まで下落しており、しかも「この要求を変えてもよい」ということであった。
北京工業大学の今期卒業生である何亮(仮名)の専攻は、電子情報であった。彼によると、これが、大学受験時の人気専攻科目であった。大学の授業が始まった時、クラスの主任は誇らしげに、卒業後に「月給が5,000元より低ければサインをする必要はない」と言った。大学2年生の時、彼はまた、卒業後の平均給与は3,000元であると述べた。大学3年生の時、先輩の間で月給800元という数字が出現し、彼の心は突然寒くなった。このため、何亮は、来年も引き続き修士を受験することを決めた。
激しい就職競争に直面し、非常に多くの人が修士の受験を選択している。しかし、既に修士を受験することを決めた何亮は、それでも自分の将来に対して大きな希望を持っていない。北京においては、学歴が修士や博士の卒業生の「価格」も下落の一途なのである。
湯正(仮名)は、北京師範大学中文学部博士課程の今期卒業生である。今年の4月に得た情報として、博士生の北京人材市場における基本的な価格は5,000元前後であるということだった。しかし、希望する企業を駆けずり回ってみて初めて分かったことは、現実の状況と彼が得た情報との落差が相当に大きいということであった。
どのポストも、一つに対して十数人、ひいては数十人の応募者がひしめいているが、彼らは、職を得るため、採用側が賃金を極力抑えようとしても何も言わず、ひいては、自ら賃金を引き下げることを惜しまない。彼(湯正)は、最終的にある出版社の職を見つけたが、それでも、数十人の競争を最後に勝ち抜いたのである。その月給は、1,400元であった。
湯正はこう語る。この感覚は、まるで、食品市場で大根や白菜を売るかのようだった。