【大紀元日本7月23日】国家資源委員会がこのほど開催した専門家講座で、著名の経済学者である韓志国氏、そして株式市場で知名の張衛星氏は、中国株式市場及び今行われている株式権利分置改革に対して、独自の見解を表明した。
「南國都市報」によれば、韓志国氏は次のようなことを指摘した。中国の株式市場は十数年の歴史を持つが、今はすでにどん詰まりの状態になっており、十数年にわたって積み重なった対立は、集中して爆発し、そして、株式市場は、もはやさまざまな打撃を受けたので、長年の問題はすぐに解決できない状態になった。
行政化された株式市場は、運営に苦しむ。行政化は、四つの面で現れている:行政の権力が強すぎる、市場のメカニズムの力が弱すぎる、情報の開示が不充分、監視管理の力が強すぎる。過度な行政からの干渉がある。
長い間、この四つの要因で、資本市場は「官僚」の色彩が非常に濃厚であり、行政化によって、株式市場の独立人格が歪められており、株式市場は不均衡な発展に傾いている。
株式市場で知名の張衛星氏は、次のようなことを指摘した。株式権利分置改革は、今日もはや囚人のように苦境に囚われた。多くの利益集団が、この改革に巻き込まれている。目下、すべての株はそれぞれの株式改革ルールがあるために、市場を混乱状態に巻き込んだ。この状態の中で、すべてのことは、ルールによるのではなく、全て個人の一時的な好みによって決められる。
韓志国氏は、「融資が制度の元であり、体裁を整え見た目を良くすることは投資への橋渡しであり、広報宣伝は勝利を獲得する道です」とずばり指摘した。
上場会社が金を集めようとする欲望には限りがなく、金を集めるコストはあまりにも低く、獲得した利益は非常に膨大なので、これは絶対的に経営によって利潤が上がる欲望を超えるはずである。
中国の株式市場の金を集めるメカニズムは、市場関係者の「売春婦意識」を育成した。「お金をくれれば、何でもやる」という意識は、大株主の金を集める欲望を放任し、そして王小石(彼は中国証券監視管理委員会監管部副処長で、事務の口実で利益を獲得することで逮捕された――訳者注)のような人物に、監視管理の責任を放棄し、そして追い詰められて無謀なことをする理由を与えた。
ある角度から言えば、中国の銀行は上場すべきではないのである。なぜかというと、中国の銀行は金を集めることには、限りがない。しかも、この理由はとても高慢なもので、これが資本の充足率である。
韓志国氏は、株式権利分置改革のプロセスは、実際には流通株と非流通株の勝負でもあるという。
事実上、この勝負はきわめて不平等なものである。流通株の株主は完全に人にやられる弱い立場に立っている。この根本的な原因は、流通株の株主は、提案する権利がないから、非流通株の株主の方案しか聞けない受身になる。
政策は絶えず打ち出され、株式市場が常に売り手市場になる原因は、なんでしょうか。それは信用である。株を持っている庶民はすでに株式市場への確信を失ったのだ。株式市場外には膨大な資金があるのに、株式市場に入ることは固くて許されない。
彼は次のようなことを指摘した。試験的にやっていた株の流通の全過程で、誰が最も積極的かというのは、贈られた株の数から見れば、一目瞭然である。民間企業は、国営企業より多かった、地方企業は、中央政府企業より多かった、中央政府企業の中で、小さい企業は、大手企業より多かった。これはなぜだろうか。答えは地位の不平等にある。
長年にわたって、流通株の株主は、非流通株の株主に数万億元の資金を贈って、大いに上場会社の生存及び発展を助けたのに、非流通株の株主は、どうして、蛇(これはイソップ寓話集にある「農夫と蛇」の話――訳者注)のように、恩返しをせず、逆に善良かつ真面目な農夫にかみつくことができるのだろうか。
株式市場の動きは最もいい証明だ。最近方案を公表した会社が上場を回復した後、七社の株価が、下げたり、止まったりするのは、なぜか。これは株式市場が今行っている株式権利分置改革を認めないからである。