【大紀元日本9月18日】目下、中国共産党の滅亡が、時代の最強音と焦点となりつつある。
深刻で解決できないさまざまな危機を抱えている中国共産党。その現状や歴史発展の規律からすれば、今日の中共にとって、如何にすれどもその滅亡から逃れることができないものと思われる。歴史において、先哲たちはすでに中共がこの時期に滅びることを多次元的に予言しておいた。しかも、玄妙で難解とされる予言の簡明な解釈と傍証としたかのように、2002年に中国の貴州省に「中国共産党亡」という、天成の六文字がはっきりと刻まれている2.7億年前に出来た「蔵字石」が発見された。
(「中国共産党亡」・貴州省平塘県掌布郷「蔵字石」・自然公園入場券図案)
今では、中共の滅亡はすでに人々の程遠い望みやその可能性について論考するという段階のものではなくなり、もはや随時に発生しうる現実的なものになっているのだ。東洋文化では従来、「天の時、地の利、人の和」を重んじるが、今のところ、この三次元において尽く中共の滅亡を示しつつ加速している。中共の滅亡は歴史の規律であり、天の意識の所以なのである。
周知のように、始皇帝の時代に「亡秦者胡」という預言があった。これに関して、多種多様な解釈があり、その中で「中共は胡錦濤の時代に滅亡する」という解釈がそれの最も奥深い読解だと思われる。「亡秦者胡」が歴史上に按配されたことであれば、胡錦濤にとって、持ち技を尽くしても、中共の滅亡を挽回することができないはずである。
宇宙が全面的に更新され、人類もいよいよ激変の時代を迎えようとしている今。こういった特殊な時期において、歴史で按配されたそれぞれのことには、また変数も伴ってくる。すなわち、時代激変の中で、歴史の趨勢、天の意、または善と悪や是と非などに対し各々の思いと選択がきわめて重要であり、それの如何によって、それぞれの未来が決められることになるものとされているのだ。したがって、「亡秦者胡」は必ず実現できるが、その実現される過程の中で、胡錦濤が如何に行動をとるのかが問題の要となってくる。
この頃、今一つの古い預言が披露された(『大紀元』中国語版ネット「関于中共高官和胡錦涛的古老預言」<中共の高官および胡錦濤に関する古い預言>に参照)。その中で、「老水為王不出頭――民民死絶。王出頭、二十八死――人半救。」(「老水」は「濤」のこと、胡錦濤を指す。「出頭」とは、出るという意があるが、「王」に「頭」が出れば「主」になるので、「為王不出頭」とは、王である胡錦濤の不行為を意味する。「二十八」の三文字を組み合わせれば、「共」になるので、「中国共産党」を指すという。)という二句がある。注意すべきことは、この預言は他のものと違って確定とした一つの結論を出したのではなく、異なる二つの仮定およびその結果を提示しているのである。すなわち、胡錦濤が不同の選択によって、中国に異なる未来をもたらすことになるということである。この預言が公開されたのは、天が胡錦濤および中国に対しあらためてその悟りを開かせようとしたのだろう。
胡錦濤は、「九十九年に大錯を成した」(中国唐代預言書『推背図』「第四十一象」の預言、1999年に法輪功への弾圧を指す)江沢民ではないので、それの副葬品にしてはならず、直ちに法輪功への弾圧を中止し、主要犯罪者を裁き、中国共産党を解体し、新しい政党を立ち上がらせる等によって中国を振興し、人類に福をもたらすべきである。これこそ預言が言う「王出頭」という、民心に応じ天意に従う最善なる振舞いなのであろう。むろん、共産主義の悪幽霊にコントロールされている胡錦濤にとって、これを成し遂げることは確かに容易いことではなく、胡錦濤の天性と知恵に対するきわめて大きな試練である。
古書には、「人は世間に在りて、泥船に乗りて河を渡るが如し。渡らんとすれば、船が壊れ、人身も泥船の如く久しくならぬ。」という記述がある。
古人にすれば、人が世の中を生きていることがまるで「泥船渡河」のようなものだ。しかし、朝に夕べを保ちがたき今の中共は、正しく暴風雨の中で荒波に打たれつつ河を渡っている泥の船そのものである。
悪党の泥船がいよいよ沈んでいく今、胡錦濤は悠々自適に舵を執っているのではなく、四方八方に泥船の水漏れを慌てて塞ぐのに必死である。当今、中共が行っている全ての挙動は、どれもこれも沈没していく泥船を救助し幾ばくもない余命を繋ごうとするための措置でしかないのである。しかし、沈没寸前におかれ最期の狂気といわれる中共の全ての行いは、かえって泥船の沈没を加速させ、途方に暮れた中共はもはや回天の力が無くなってしまった。これについて、党首である胡錦濤は誰よりも実感しているはずであろう。
胡錦濤氏よ、中共の泥船が間もなく解体し沈没してしまうことが判然としているのに、何故またあちらこちらと無理にその水漏れを塞いだりしているのだろう。中共の泥船が見る見るうちに沈んでいくのをこの目ではっきりと捉えているのに、どうしてまたこの泥船に乗っている民衆を率いて逃れようとしないのだろう。自分をも中国の民衆をも悪党中共の犠牲品にしてしまおうとするのだろうか。
胡錦濤氏よ、万古に悪名を残すか、それとも永遠に謳歌されるかは、ご自分の一念次第なのだ。悪に従って行くのか、それとも善を選んで立ち上がるのか、時期をよく判断し情勢をよく推し量り、よくよく考えて慎重に行動してほしい。