反右派闘争運動から50年、中共が再演する「血の粛清」

2007/01/30
更新: 2007/01/30

【大紀元日本1月30日】 香港誌「動向」1月号は、反右派闘争運動から半世紀にわたる歴史を振り返り、その血塗られた粛清はいつでも「再演」が可能だが、その歴史を掘り起こす精算の作業が中国の未来を変革する上で「巨大な政治的資源」であるとした。

記事内容は次のとおり。

1957年当時の中国大陸における反右派闘争運動は、毛沢東が「陽謀」と称し、共産党内における「整風(綱紀粛正)」の下、全人民が反右派に転じ、政治界、文教界、工商界の指導層のみならず、「生意気な」知識分子やインテリ層にまで、果ては政治的に全く関係のない平民にまで及んだ。その際に、右派の「レッテル」を貼られたものは、中共当局の統計で55万人。しかし、学者・丁抒氏の研究「陽謀(同氏著)」によると、右派のレッテルを貼られたり、当局によってそれと見なされたりしたものは、全部で150-200万人。これらの人たちは結局、職場で職位が降格されたり、監督労働を科されたり、「労働教養」に収容されたりした後、さらに量刑を加えられた。

反右派運動は、中共のみならず中華人民共和国にとっても重要な転換点になった。中共は、自らの革命綱領に叛いたものたちを一般公開し、「救いようのない異分子(中央とは意見の異なる人たち)」を反人民、反文明の反動左派と決めつけた。こうして、社会の良知を代表し、中国の伝統文化を憂える インテリ層は、徹底的に弾圧された。「反右派闘争」の旗印の下、全国の党組織は、インテリ層に対して、集団虐殺的な理論体系と実施体制を敷き、これらの人々を奈落の底に突き落とした。

これらの運動の結果、毛沢東は、「反右派運動」を進めて社会全体を動員するようになり、それを社会の各領域に拡大し、経済原則を無視・破壊して「大躍進」へと導いた。これにより、大型の製鉄精練工場、人民公社化運動、公共食堂化、生産食料の深刻な浪費、生態環境の深刻な破壊、ならびに全国に普遍的に見られる大飢饉と生活物資の慢性的な欠乏を招き、結局のところ、犠牲になった死亡者は4000万人にのぼった。こうして止まることを知らないレールを進む政治運動は、文革でピークを迎え、国家を崩壊の際まで追いつめた。

これに対し中共党内の「良識派」である胡燿邦氏ら先見の明ある政治家は、これまでの政治手法を見直し、冤罪によって苦しんできた人々の全面的な名誉回復を考えたが、_deng_小平氏ら当時「主流派」によって阻まれ、少数の右派が名誉回復されることは結局なく、「反右派闘争は正しい」とあべこべに強硬に主張され、間違いは拡大した。中共はこれまでの50年間の闘争で、自らを修正するすべはなく、「反右派闘争」は政治上で必要だと認識しさえすれば、いつでも「再演」が可能だ。

中央の「精神の汚染に対抗」「自由化に反対」というスローガンの元、六四天安門事件や法輪功弾圧が引き起こされ、第四世代胡錦涛総書記が就任した後でも、ウィグル族など国内少数民族への抑制はさらに強化されて何ら変わることがない。言い換えれば、中共の中央集権的な体質は、根本的に何も変わっておらず、反右派運動を展開する政治集団なのだ。悲しいことに、中国のインテリ層は、ここ50年間の弾圧で「骨抜き」になってしまい、まだ癒えていないどころか、当局と「グル」になってしまったため、中共の政治体制はいっそう腐敗した。

1987年当時、許良英、劉賓雁、方勵之らは、「反右派闘争30周年活動」を組織し、その結果、「資産階級の自由化」という罪状で弾圧された。現在の中国では、貧富の差が拡大しているのは無論のこと、民衆の中央に対する信頼度は失墜し、国内に対する専制的締め付けの度合いはさらに強くなっている。市場経済の恩恵は、すでに少数特権階級の懐の中にあり、さらにフィリピン・アキノ政権発足から中央アジアに波及した民主化の波「色革命(平和的・非暴力の民主化運動)」も迫っている。こういった中国社会の現況は、20年前と比較してもさらに厳しいものであり、さらに「反右派闘争50周年活動」など思いも寄らないことだ。

このような国内の厳しい情勢にあって、胡錦涛とその側近の「御用聞き」たちは、「民主主義も悪くない」というアドバルーンを揚げた。「胡温改政」がそれだが、これは半世紀前の「陽謀」の現代版といえなくもないのではないか。胡錦涛は、毛沢東の遺志を継ぐものであるが、それ程の政治的豪腕でもなければ、毛沢東が手腕を振るうことができた時代環境とも違い、ただ中共中央の政治的チャンスにのって惰性に任せ、国際統一戦線を公開宣伝したようなものだ。かくのごとく、反右派闘争も含めた中共の種々の罪状・罪業は、未来の中国を変革するうえで巨大な政治的資源であるが…一体全体、誰がこれを掘り起こすのか、注目すべきところだ。

関連特集: